3日目の朝・水曜日

★術後というのでしょうか、3日目の朝です。痛みも取れて、少し「お尻」に違和感がのこりますが順調に良くなっていると昨日の診断でした。人生の「疲れ」をとっているのかな、まさか「寝ダメ」などが出来るわけはないと思いますが、良く寝ます、というか、寝れます、寝すぎで「腰」が痛いくらいです。立ち上がっては部屋の中を「グルグル」とまわってみたりです。昨日も、9時からテレビみるかとつけたのですが、少ししたら『眠くなり』まして、テレビ切ってねてしまい、夜中に一度トイレに起きましたが、5時過ぎまでぐっすりねていました。薬の関係カナです・・・・

ごきげんいかが作成の日ですが・・・・

今日は、水曜日で、普段ですと週間紙・末永弘之の市議会報告「ごきげんいかが」の作成日ですが、今回は、手術前の日曜日に作成をしています、いつものように、KさんとFさんが、誤字などを点検してくれて、印刷・ポスト卸をしてくれるとおもいます。ポストごとの「枚数」は、まず、一面を「必要枚数」印刷して、裏面になりまして、最初に「帯布」にポスト名と枚数を書いておきまして、その枚数を印刷し、「帯布」留めをして、次の帯布の枚数を印刷ていくというようにしていますから、数を数えるという作業はありませんが、それでも、表裏2面刷りは時間もかかるし、大変です、いつもありがとうございます。感謝です。

27日へ資源循環施設組合議会の議長選挙は?

どうなっていくのか、?、今日の段階で「調整はついていない」という感じですから、選挙になる公算大なり・・・・町から出ておられる8人の議員のとる態度・・・・どうなるか・・・の動きと、宮地市長の、動き、などを書いている「ごきげんいかが1087号」とおもいますが・・・・号数は少しちがうかもです・・・・

米軍ヘリですが低空飛行の被害は

やっと座れだしました

1日半がすぎまして、手術二日目の午後、「便座」なるクッションを使ってですが、やっと「座る」ことが出来始めました。薬の関係があるのかな、ともかく、良く寝ます、というか、練れますというか、寝ています。痛みやお尻の『違和感』が和らいで、トイレと座る以外は、普通です。                                            病院に来る前に「瀬戸内ネット」の方から、米軍のヘリコプターの低空飛行で、乗馬クラブで落馬して鎖骨を折った事故が昨年にあり、日本政府が「補償したそうだ」とのニュースがはいっていましたが。。。。仔細をみますと、

広島:米軍ヘリ騒音で50代女性が落馬し鎖骨折る

広島県廿日市(はつかいち)市の乗馬クラブで昨年6月、付近を飛行した米軍ヘリコプターの騒音に馬が驚き、50代女性が落馬して鎖骨を折るけがをしていたことが、中国四国防衛局(広島市)や同クラブへの取材で分かった。在日米軍は当該ヘリが米軍機と認めており、日米地位協定に基づき、女性に補償する方向で協議している。

 同クラブによると、昨年6月9日午前11時ごろ、会員7~8人が乗馬中、付近の山陰から現れた米軍ヘリが低空で飛び去り、馬5~6頭が驚いて駆け出したという。クラブ関係者は「ヘリ側面のスライドドアが開き、兵士が見えた」と話した。周辺上空ではこの日の前後1~2週間、米軍機とみられるヘリが頻繁に飛行していたという事のようです。

これは、毎日新聞の記事ですが、一年間も「表に出ないで闇の世界」だったのかなと思わされますが・・・細かいことは判りません・・・。

病院の中からの書き込みです。

22日月曜日です

今朝は、病院の窓辺からです

★土曜日からの雨、昨日の日曜日も午前中は雨、午後も降ったり止んだりで、暑いという感じがなくなりました。と、言いましても、また、厳しい残暑がくると思いますが、今朝は、涼しさを感じる朝で、雨は降らない感じですが、「内痔核症」で、今日手術です、とても「痛い」と聞いていますが、少し不安の朝ですね、痛いのは嫌ですね・・・・。明日の朝は、座れなくて「雑記」を書いたりが出来ないかもです・・・・・

もっとすべきことはありませんか?

東日本大震災への支援・復興、そして、放射能漏れ、いずれもが「改善策」の見通しも、放射能汚染も、収束どころか、被害が、汚染状態が、ますます「不透明」で、国民にとっては、何も信じられない・・・・・子供たちの45%が「体内被曝」していた・・・・子どもたちが直接「政府や東電」に訴えている姿がテレビに映されました・・・・・子どもたちの不安一杯の声の全てを聞きたかったですね・・・・私たちは子どもが生めるのか・・と切々とうったえていました・・・それでも「放射能に過敏になるな」という始末です・・・・

政治の世界は「権力争い」にうつつを抜かす

世の中は、菅直人首相の後継を選ぶ民主党代表選への動きに話題が集中です、マスコも、『代表選びにうつつをぬかす政治』を批判をしながら、報道の多くは、野田・鹿野・海江田、そして、前原へ、さらに、小沢一郎・鳩山由紀夫へと「代表選挙」です・・・月末には「新しい総理」が決まるのかもしれませんが、誰がなっても、おかしな政治は変わらないのだろう・・・こんな時期だから、民主党さん、もっとスマートな、ゴタゴタしない党首選挙か゜できないのですかね・・・・

そういえば、「津山圏域資源循環施設組合議会」の議長選挙も同じことか・・・・無様な姿は、おおきくても小さくても「政治家の姿」は同じか・・・・

第8回市民平和のともしび・雨でした

★この「ともしび」を約100ケ並べて、「平和・66」と言う文字を、暗い夜の河川敷に浮かび上がらせる予定でしたが、あいにく、午後6時頃からの雨で、準備はして頂きましたが、「平和のともしび」が出来ませんでした。

やむを得ず「屋内集会」となりました。挨拶をする美作原水協代表理事・下野先生です。懇親会に花が咲きました。

参加者、雨の中でしたが約30人、参加した子どもたち7人と「未来へ平和を」の思いで記念写真でした。

都合20回目と言うことですが・・・

この「平和のともしび」なる行事・催しものは、元々は「平和灯篭流し」を、吉井川河川敷(作陽高校下)をつかって、一定の距離を、吉井川を使って「灯篭」を流していました、この「灯篭流し」を12回行い、灯篭流しは、雨の時中止で「急遽会場探し・移動」の困難さや、吉井川をきれいに、と、流す灯篭を「全部拾い集める」作業などを考えて、お互いが寄る年も考慮して・・・・・「平和のともしび」として懇親会は「屋内で」としました。今年が8年目、で、都合20回目と言う次第です…今年は、原発事故・・・平和の重みが、内容がかなりへんか、ノ―モア・フクシマが加わりました…・

昨日の雑記、失礼をしました「間違い」でした修正です、が

昨日、学者の話しの中で、「赤ちゃんのミルクにヒ素が・・・」と書きましたが、「ヒ素」と書いた部分を「鉛」に変更して下さい…内容といいますか、趣旨は全くかわりません・・・そして、「特定有害物質」は、「ほとんどが生活の中で利用されています」と書いていることなどを加筆しておきます。

使用量を守れば特に気をつけることはありません、という主張です、珍しいものでもありません、「健康に影響の無いように、うまく付き合っていくこと」と紹介していますから、まぁー、今更、何をかいわんやです。

限りなくゼロとすべきですよ

限りなくゼロを求める、ましてや、行政施策で「有害物質は、少々は大丈夫だから、施策の中で有害物質が人体に影響があっても、摂取量をまもればよい」という理論に立脚して「安全論」をとなえてよいものか・・・・有害物質は、限りなく「ゼロ」を求める行政でないと・・・・ましてや、津山の新クリーンセンターは「環境基準を超えたヒ素や鉛」(いわば、摂取龍をこえた有害物質)の話をしているのですから、「安全だから、赤ちゃんのミルクにもあるんだから・・・」という論法がなりたつものですか・・・・こんな論法をもつ学者に、なんで、わざわざ委員になってもらわなくてはいけないのか…宮地らしさとは、なんであるのか・・・・今、環境保全、住民の命守る施策で・・・「何を検討してもらうか」ですが、結論は見え見えと思いませんか…宮地市長が「やるべきこと」は、もっと別の手法ではないかと思えてしかたのない今朝の雑感です。

世の中「狂い」ましたかな

原発事故、放射能漏れからがひどいブレ

★民主党という名前で、自民党・公明党の「悪政の限り」を行うようになる・・・こんな事を誰が想定したか・・・・民主と自民と公明が「子ども手当て」を足がかりに、政策の「一致」へ基本的な合意・・・・表向きは「東日本大震災の復興策とをと予算のあり方、国民への増税」をうたい文句にです、、、菅さん「やめる」ことを錦の旗にです。。。。辞めるんかいな、と、思えますが、世の中がこれ以上の「居座り」は認めませんか・・・さすがの菅さんも「辞める」のですか・・・・大震災を「逆手」にとった増税へと流れています・・・

日本中の科学者もマスコミも、はじめから「原発は危険性がある、と、指摘をしていた」というムードにもなっています。本当でしょうか・・・・日本をリードする科学者の頭脳も、マスコミに登場して「知った知識を大いに披露して、乗りに乗っているジャーナリスト」の皆さんが、少なくとも、今の日本を引っ張っているのです・・・・自分の人生そのものに「責任」をもってもらいたいです・・・

でも、原発は安全ではない、東京電力は本当のことを言うべき、政府の発表も疑問あり・・・と言う潮流に「原発事故」いらい、かわりつつある、これは、動かしがたい事実ですね。世の中がそちらの方向へ『動く』というのはブレではなく正しい方向性というべきかなです・・・・

津山のゴミ処理施設建設予定地の「砒素や鉛」も・・・・

★前の市長のときですが、新クリーンセンター建設予定地には、環境基準を超えた「ヒ素と鉛がある」というショッキングな話が公然とした時期、岡山大学だったとおもいますが、学者の話として「クリーンセンターだより」に、赤ちゃんが飲むミルクにもヒ素や鉛があり摂取量をまもればこわまない、と図式入りで「解説」をしたことがある、まさに、これは何だ!である。これが、日本の最高学部の学者のすることか・・・・こちら「環境基準が超えたヒ素・鉛」を問題にしているのだよおー、、、、赤ちゃんが飲んでもよいヒ素や鉛を聞いたわけではないんだよー、なのに、なんで、桑山さん、学者さん、赤ちゃんが飲める「ヒ素や鉛」の話をだして、ヒ素や鉛は「大丈夫だよ、危なくないよぉー」と叫ぶんですか・・・・・

原発の安全だょーと似てないかな

どこか、似ているよ、日本中の学者が、こんな「論調」なんだ、原発。核・放射能・・・・・怖いよーという人たちに、危険だょーという人たちに、「安全だよー、広島や長崎ではないよー、」と叫んできたんだー・・・そして、爆発して放射能がもれても、本当のことを言わないで「直ちに人体に影響がない」と述べて、長崎や広島の「病院の専門家」をテレビに登場させて、「広島や長崎のようにならない」と説明をさせたんだ・・・・

どこかが「いびつ」ですね、、、

いびつといえば、やはり「おかしい」のでは

★16日の「大いに迷う記事」にしました部分、ここに書いています、

領家に建設することを前提とした「ゴミ処理施場の管理や運営」のあり方を、クリーンセンター整備・運営検討委員会」へ意見を集約してもらうための措置を講じた。

という記事に関係していますが、この「検討委員会のメンバー」に上記に書いている「赤ちゃんのミルクにもヒ素(8/20訂正)がある、大丈夫だ」と書いた学者をいれている、ここは、宮地市長の「策」である。しかも、この学者を副委員長に座らせたのである。

いびつ、おかしい、と言う指摘は、

『桑山前市長の選んだ学者』を、しかも、ヒ素は赤ちゃんの飲むミルクには入っており、「安全だ」と宣言する学者を、今、何故、宮地市長が「メンバーにわざわざ入れて委嘱状を出さなくてはいけなかったのか。。。」ということです。

それほどまでに、桑山のやったことは「立派だ」と評価できるということなのか・・・・何かがおかしいのである。

★今日は、美作原水協主催の「平和のともしび」の日です、なんとか参加をしたいとおもってはいるのですが・・・

18日木曜日は議会報告「ごきげんいかが」発刊日

★週に一回の、末永弘之の市議会報告「ごきげんいかが」の発刊日、1086号かな・・・今週の記事は、このブログではすでにお届けしています、米軍機低空飛行の小学校・中学校、そして、幼稚園や保育園の「実体調査」についてを主に書いています…・

月曜の早朝から、京都へ、骨収めなどの私用で出かけておりましたから、じつは、出かける前に、すなわち、土曜日・日曜日で「作成」をして、kさん、Fさん、に印刷などをお願いしておりまして、今朝の、新聞「赤旗」日刊紙への「折り込み」から配布が始まっています、留守をしまして、その間に「印刷」など、一連の配布への段取りなどして頂きありがとうございますです。。。。こうした、色んな方の「応援・援助」というもので、議会活動ができ、「ごきげんいかが」も発刊出来と言うしだいで、ありがたいことです、お世話になりますが、今後ともよろしくお願いします。

大谷本廟へお参りの写真

★15日の雑記で紹介しました、母・品代の「大谷本廟」へ納骨した時の写真が届きました、あらためて紹介しておきます。

大谷本廟への実母・品代の「納骨」のさいに、樋口英明京都市議(娘婿)が同行してくれて写真を1枚とってくれていまして、送ってもらいました。京都の娘と3人の孫、神戸の次女夫婦と孫ふたり、と一緒でした。

納骨とは、浄土真宗独特の「習慣」かな、骨収め(納骨)とは、何かな?

大谷本廟(西大谷)への納骨・分骨について 古来よりお骨の一部をご開山親鸞聖人の
御廟に分骨又は納骨することが、一般的に浄土真宗の「あり方」であり、一般的にご本山に分骨・納骨などと称していますが、正しくは本願寺大谷本廟(西大谷)への「分骨」、「納骨」の事という意味だそうです。

京都の五山送り火を見ました

妙の文字の間近でみて、大文字を遠くに

★生まれて初めて京都の、大文字焼、送り火なるものを見ました、すごく綺麗、そして、すごい人と暑さでした。少々足が痛いですね・・・

昼間の大文字の文字、金閣寺付近から撮りました、この大文字は夜見た山と違うものだそうです、大文字は右と左と二つあるのだそうです・・・

夜の8時を少しすぎてから点火しました、何故遅れたのかは不明・・・左京区松ヶ崎の自動車教習所の小高い丘の上から遠くを望みました、とっても綺麗な大の字をみました。

昼間にみた「法」の文字、松ヶ崎の町から、すぐ近くから写すことが出来ました、が、つらいことに、夜の撮影は出来ませんでした、この現場にたった時は、すでに午後9時前で、文字は消されていた、と、言うか、消えていました。

少しわかりにい感じですが、「妙」の文字、妙法と言う二つの文字が、松ヶ崎の山の右と左に浮かぶということでした。そして、夜8時10分頃でしょうか、松ヶ崎の自動車教習所の丘の後ろ側、まさに、目の前に、妙の文字が浮かびました。

見事でした、数えてみてください、103の薪の炎です、幻想的、しばしみとれていました、火の点火直前に『太鼓』の音なども聞こえていました。そして、少し離れた山では

船の形の炎でした

遠くに大文字の文字が移っている予定でしたが、うっすらと私の顔しかわかりませんですね・・                こんな京都の夜を楽しみました、幻想的な「妙の文字」は、なんともいえない姿でした。こうした行動・写真撮りのための移動などを終えて、急いで10分程度、人と自転車の間を縫うように歩いて「法」まで行きましたが消えていたというしだいでした。

今朝は早くから孫と「すみ拾い」へ登山

これから、「法」の文字の焼いた後、地域の人たちと孫たちと一緒に「すみ拾い」にいってきます、下山して、少し休んで帰ります。

カメラ忘れました

★めったにないこと、たびたびあっても困りますが・・・・2年ぶりですか・・・一つの儀式ですから「デジカメ」を充電して、かばんに入れて、京都へ、そして、西本願寺から、大谷へ骨収め、さて写真をといわれて、アレッ・・・・車の中に置き忘れ、車はホテルの駐車場でした・・・と言う次第で、昨日の実母・品代の納骨は写真に収めることが出来ませんでした。

今夜は、大文字焼を見て帰る予定です、67歳にして初めて見る、送り火、京の都の

幻想の炎 五山送り火です この「送り火」は、ものの本によりますと、

『お盆に迎えた精霊を送る京の伝統行事は「五山送り火」といわれており、8月16日夜に、京都市内の5つの山で催される。午後8時に如意ケ嶽(左京区)に「大文字」の火がともる。その後、同10分に松ケ崎西山と東山(同区)の「妙」「法」、同15分に大北山(北区)の「左大文字」と船山(同区)の「船形」、同20分に曼荼羅山(右京区)の「鳥居形」の順で点火される。』

とされています、娘夫婦が左京区ですから、ぐるりと周りの山々です。。。今日の午後8時に「大文字山」に点火、8時10分に松ケ崎西山と東山(同区)の「妙」「法」、という文字に火が入るそうです。その「法」の文字に点火する山ののふもとです、昨日のお昼過ぎから、準備してみいる姿が、近くの山の上、よくみえますから大いに楽しみです。

写真は、昨年の写真をインターネットでみつけて紹介です、こんなに綺麗に見られますようにです。

原発事故、放射能汚染の薪の物議

さて、今年の送り火は、かなりの「物議」を呼びました・・・「京都五山送り火」の騒動は、ご案内と思いますが、岩手県陸前高田市から送られた薪を、燃やす、燃やさない、中止する、しない、中止は「送り火」ではなくて、セシウムが検出された陸前高田市の薪、京都では燃やさないことになりました。これも「原発被害」の一つかなです。         最近は、どうも、この「原発と放射能」に関する発表や数値は、「本当なのか」と、まず疑いの目です・・・ちゃんと測定したのかなど、「薪に関する経過」もスッキリとは判然としていません。                                             燃やす、燃やさない、の繰り返し・・・なんとも後味の悪い結末となりました。そんな流れのあとで「薪からセシウムが検出された」と聞いても、「ホントかなあ」と疑いの目を向けずにいられません。

日本中が、今、本当に大丈夫なのか?

過剰反応と批判の声も聞かれますが、不安が一杯です、何から始まったかな、水道水、野菜、お茶、牛の餌になる牧草などなど、そして、薪です、福島原発の近くではありません・・・・今までに「表面化」している、社会的に問題とされた、それぞれの「品物」《こんな呼び方ではいけないかもしれませんが・・・》が、今、どうなったのかわからないまま、おかれたままで、新しいものへの「放射能汚染」です・・・これは、汚染の広がり以外のなにものでもありません・・・・・どこに行っても、何を食べても、大丈夫、不安も心配ともないのが、あたりまえ、普通なんですから、そもそも、放射能のことを、日常生活で「心配」しない世の中を、帰してください、「原発は安全だ」と推進して来たみなさんへです。

大いに迷う深夜の雑記

★無様(ぶざま)なことですが、何回か『迷い、迷い』の雑記は、久しぶりです。

率直に言いまして、タイトルは5回書き直し、以下の「雑記」は、書いては消し、書いては書きなおし、全部けして、また、書いて、書くたびに「文章」もかわってしまい・・・こんなに「迷う雑記」は、ひさしぶり、ひょっと、初めてかもしれない、大いなる苦悩であり、葛藤であり、大いに迷いである、嘆きでしかない、が、書くことに覚悟をきめて、何回目かの「書き直し雑記」です・・・・・

ゴミ処理施設問題で、新しい動きが・・

12日に、領家に建設することを前提とした「ゴミ処理施場の管理や運営」のあり方を、クリーンセンター整備・運営検討委員会」へ意見を集約してもらうための「提言案」なるものを示してという外郭団体、審議会のようなものであると思う。

「広く市民の意見を聞いて、新クリーンセンターの建設を推進する」と言う方策から行われる「政治手法」の一つだろう、・・・・宮地市長は「新クリーンセンターが地域の皆さんに喜んでもらい、他の地域に誇れるような施設になるようにしてほしい」との旨を述べたという記事がマスコミに書かれている…

アレッ、いつか聞いたようなセリフではありませんか

このままいけば、新クリーンセンターは「領家で建設」という事になるであろう…、それは、「検証の結果」の発表以来、陰に陽に明確にされていること・・・・だが、だ、色んなところで、宮地市長らしさが、なんで出せないのか…なんでかな・・・…もっと宮地市長になったから、 ここが、こう変わった、 という施策、言葉はないものか・・・・

イライラですが、京都へ実母の「納骨」へ行きます

★朝から少々イライラ気分です、車の運転は危険かな・・・・しかし、初盆も終えて、今日は、お骨納めで、京都の西本願寺へ「お参り」です、早朝からでかけます・・・京都や神戸の娘夫婦や孫たちと一緒に実母・品代を西本願寺に納骨します。しかし、西本願寺は、まさに、『お参り』だけで、納骨と言う点では、正確には「大谷本廟」(東山区五条東・清水寺の近く)へ行きます。

昨年、義父・泉と義母・知恵子の「納骨」の事を思い出しますと、西本願寺に受付・お参りをして、西本願寺が、お骨納をする家族をまとめて、「特別バス」で「大谷本廟」につれて言ってくれました。沢山の人たちとバスで行って納骨し、お経を読んでももらってお祈りして終わりと思います。今年は、お盆の最中です、沢山の人たちで、大賑わいかな・・・

13日(土)ですが、今日からお盆

★昨年の8月10日、長い介護の生活ではありましたが、亡くなる直前まで「痛み・苦しみ」など全くなく、アレッ、と体調の変化にきがついて、約30分かな、1時間たらずで眠るように息を引き取った母・品代、96歳、「老衰」という診断でした、あれから、丁度1年、『初盆は昨年の盆か、今年の盆か」と色んな意見もありましたが、昨年も「一応のお盆」をして、今年が、どうやら「本物の初盆」になるとか・・・仏の道は分かりません、なによりも「宗派」によっての、かなりの違いがあるようですから・・・と、いうことで、今日、お墓とか仏様とかを綺麗にして、お花をあたらしくして、初盆を迎えます。お寺さんが午後くるそうです・・・。

川元品代(実母)と漠・ひろし(実父)が眠っている「川元のお墓」です、このお墓は一代かな・・・

末永泉(養父)知恵子(養母)や泉・品代の父・和田蔵とその妻・ふよ、そして、順四郎叔父とゆみ夫婦、泉や品代の祖父の利喜蔵・なみ夫婦らが眠る末永のお墓です。

★この利喜蔵が、天保3年6月7日生まれです。天保3年といえば1833年で、徳川12代将軍・家慶の時代です。

利喜蔵の息子たち、長男・順四郎は慶応3年12月8日生まれです。若くて亡くなり、弟の次男である和田蔵は明治4年生まれ、この人が末永の跡取になったようです、そして、泉や品代ら姉妹弟6人を生んでいます。

★利喜蔵の父親が、茂平という名前である所までのルーツが分かっているのですが、倉庫にある「墓石」は、この茂平のかなです・・・亡くなった月日や、その時の「苗字・名前」をどう刻んでいるか、が知りたいところです。

★慶応3年は1868年2なりますか、徳川最後の将軍・15代将軍、慶喜の時代で、慶応4年9月8日に「明治」となりますから・・・・

◎この二つの「時代」に、末永利喜蔵であり、末永順四郎でありえたのかどうか…身分制度の厳しい中、本当に、末永という苗字がありえるのか・・・墓石には「末永」と刻まれています…かなり、興味があり、歴史をひも解いてみたい、・・・だから、解読可能なと思える、かなり「風化している墓石」を、地下に埋めないで、倉庫に撮っていると言うことです。。。誰か、読んで下さい、解読してください。。。いつの時代に、どんな苗字で、名前で、誰が亡くなったのか…・しりたい限りです…

★二つお墓が、右(西側に末永)左(東側)に川元と並んでたてています、墓石です。もう、4年になりますか、養父・泉(実母・品代の弟)が亡くなった時に、泉の意思(金銭的な問題も含め)もあって、いわゆる「末永代々の墓」にしました、古い、ふるい、オはかでした、文字が消えて(風化)よめないものもふくめて、沢山の墓石がありましたが、地下にうめてしまい、一部、文字が判読できそうなものを、いま、倉庫に入れていますが、早く、読んでほしいとは思っていますが…そして、跡がどうなるかが、かなり「不明」ですが、大原町(現在の美作市)にありました、父のお骨を持ち帰って、品代と二人だけの「川元のお墓」を作って、末永の横に空いた訳です。

いつまで私ら夫婦が生きるか…長生きをしたいとおもいますが、私ら夫婦は、川元から末永へ「養子縁組」(苗字をかえる手法としての養子縁組)ですから、末永のお墓に「お骨」はいれるべきと思います…