★今日は火曜日で「私の休日」の日ですが、美作水平社百年記念史誌づくりへ「編纂小委員会」の日でもありますから、会議の準備も含めて普通に出かけます。晴れと言う予想ですが、天気は良くないです「曇空」が1面です、重たい曇ではありませんから午後は晴れるのかも・・・・
★百年という歴史の刻み、そして、七十年以後の津山市を中心とした美作地方の歴史、30年の歴史のまとめ・・・・ほぼ「同和・部落」の運動が消滅し、特別措置法が「亡くなり」、そして、市町村の合併という歴史、変化、…この間の資料集めだけでもなかなか大変です、70周年から80周年へ、そして、90年史へ、最後が91年から100年まで、の大きな10年刻みの流れ、それぞれの10年間の歴史、動きを「各年度ごとに3人から4人の編纂委員」の方に専属として資料集め、パソコンへの打ち込みなど大変な苦労をおかけしていますというところ…あと1年、頑張って「価値のある歴史資料」にしたいものです。
☆1981年7月31日のできごとですが、部落タブーをなくしたい、との願いで
―本音で語る―同和問題シンポジウム
を開催し、それまでの「一方的な話、講演、差別の現状分析」をやめて、挨拶だけとし、誤解や偏見も・・・、差別と思われる意見も・・・・、ともかく市民の意見を黙って聞きました、言い訳もしかけましたが、しませんでした、誤解だと立ち上がって言いかけましたが、それは・・・と解説をするために腰を上げかけましたが袖を引っ張り合い何とか思いとどまりました、やめました。
★確認糾弾は精神的拷問である、との意見もだされました・・・、唇をかみしみてうつむいて・・・、黙って聞きました、10時から昼食で終わるかもしれない、本音は言わないかもしれないので昼で打ち上げと考えていましたが、午後3時過ぎまで・・・・、閉会の挨拶だけはしました、そのとき、やや高齢の人が、私の手を固く握って・・・・涙して「おまえさんは、どえらいことをした・・・」と感激をしてくれました。その手の温もりが忘れられなくて、22年続けてきました。
★政府の諮問機関、地対協のいわゆる「磯村指針」で「部落問題といえども自由に語り合える土壌が必要」といわさしめた3年前の出来事でした。
こうした記事を書いたのが40年も前の歴史物語を「20年程度前」になるわけですが「わたしのホームページ」の記事を見つけましての紹介です。この時の出来事は、すでに「津山のあゆみ」に記載しているできごとですが・・・向井懐かしい思い出の雑記・ごきげんいかがですかからでした。
こちらの「歴史」はどうなりますかね、一筋縄ではいかない愛和荘問題の続きですが・・・・
★先日私の経験として「一筋縄ではいかない愛和荘」という記事をおとどけしましたが、その記事をみられて、ある人から「まさに私もけいけんしました」という感じで、連絡してくれました、内容を少し「変更」してお届けしますね、、お読みください、この方は「母親」が愛和荘②お世話になっている人のようでした。
※愛和荘から、お世話になっている母親の状態があまり良くないとの連絡が入りました。ほぼ1カ月程度になるということでした…(1カ月も家族に知らせないということですか、それでいいのですか、は、この人の心の叫び、お世話になっているわけですから、あまりいえれないのです・・・)
その翌日でしたか、愛和荘を訪問した時に、玄関で相談員とばったり出会いました、私は「他の要件もあり数人と一緒でした」が、相談員さんにその場でこ親の状態をおしえてください」と頼みましたが、「私はこれから出かけるところですから…」と言われただけで、何にも教えてくれませんでした、この相談員さんも知っておられる「以前の入居者の家族」もおりましたが、その人にも「挨拶も頭を避けることもしない」ままで逃げるように去っていきました。そして、受付に来た事務の職員さんは「別のお客さんですからそこをどいてください」といわれ、後のカラスが先になってしまい要件をされましたから、私は、玄関から外に出てその用事が終わるのを待つことになりました。
これってなにー、でした、こんなのありなの、おかしいよでした。
★もう一件ありです、施設の運営責任者との会話で、この施設の人は良く警察を呼ぶんですね、、、気に食わない訪問者を警察によって排除するという「やり方」なんでしょうか、この時も「警察を呼ぶ」とか「どうど呼んで下さい」とかの話になりまして、結果として施設側が110ばんでんわをしたようです、が、読んだのか呼ばないのか明確にしないまま「帰ってください」のひらきなおりでしたから「帰れ、と、言われても、あんたらが警察を呼んだのでしたらかえれませんが、警察と話をしなくて配券でしょうか、呼んだのかどうか明確にしてください」と言うても、「あんたらがよぺー言うたんでしょう…」など意味不明の言葉を並べて、「帰ってください」と言い出す始末、、、「もうかえろうか・・・」と帰りましたが、警察が来たのかどうかも不明、おかしな施設があるものです。今日の午後何人かの人達と一緒に色んな話し合いの予定の日です。