★昨日、お世話になっていました地域の「先輩」といいましても、仲間というべき人で、学年が一級絵でした、若いころから、最初の選挙の時から、一生懸命に頑張ってくれた人、町内会も、会長と副会長(会計担当)も一緒に頑張ってくれた人がなくなりました。お昼前に連絡が入りまして、すぐ奥さんなど家族、親族の人たちに挨拶と、葬儀などの相談で日が終わったという感じでした。
※4日が「友引」ということもあり、5日が葬儀、ということで決まりまして、町内会や株などへの連絡なども連絡網を通じて連絡しまして、家族葬という原則の上に立って、地域の友、5人の櫃は特別に参加をということになりまして、通夜を組めての段取りとしました。
100年記念事業の編纂委員会です
★今日は、少し暖かい感じですが、曇っていますね…木曜日で「おやすみ」としている曜日なんですが、以前から、美作水平社創立百年記念事業についての編纂委員会です。資料集めに困難さのある中ですが、どう対応して伊野が良いのかなどを検討します、そして、早いようですが、7月8日(土)に予定します「記念式典」についての相談もしたいと思っています。
70周年の歳月の中のできごとですが、新しい資料は?
★基本的には、美作水平社創立70周年記念後の物語をと、方針化していますが、70周年の期限内で新しい記録、思い出が見つかった出来事をどうするかも一つのかだいなんですよね、、、どう書き残すかも課題でもあります。例えば、こんな物語は、゜どうしたらよいでしょうかです。
あんたは同和地区の人か、同和かの問いかけへの対応
この問いかけにどう対応するか、私たちの運動が幾つかの遍歴をたどって行き着いたところは何か、その足跡をし紹介します。
それが、少し変化します。本音シンポジウムを開催し、部落タブーの原因が、運動のあり方や差別確認糾弾会は「拷問である」といわれ、部落と同和を背に得意がって生きいる人間像に疑問が寄せられるようになっていきます。
こんな経験が生まれました。ある学校で、地区の子供に「お前は同和か」と尋ねた友達がありました
→差別だ、親が教えたのに違いない、と決め付け、子供の考えや気持ちは度外しでした 私たちは本音シンポジウムで市民の声に耳を傾け「変わり初めの」時代でした。
-子供がなぜ、そんなことを考えたのか、子供に面談をして聞きました-
子供→毎日○○くんと学校に行くために待ち合わせをしているが、ある日、友達が「同和対策事業ほ場事業施行業者××会社」の看板が立ち、そのまんなかをの道を歩いて出てきた、あれっ、と思い質問した、おっちゃん、悪いか、同和事業をしているから、地区かと思った、いけんのか?
★このように問いかけられました、「そういえば・・・・」思い当たることは沢山ありました。以下、次回で紹介となります。。。。難しい問題を提起され、考えてきたものでした、すっかり忘れていた物語ですが‥
愛和荘物語は、昨日に引き続きの資料紹介です
★今日も、介護記録をもとにして、「まとめた分析結果表」の紹介です。普通の記録と違いまして、最後のページでしょうね、約半分です。2021年6月4日から11月8日までの記録となっています。
★8回の記録ですが、内出血が、4日ありまして、表皮剥離が4日と同じ数値です。5か月という感じの記録ですが、8回です、月に1、5回という感じで「事故が起こる」ということ、一人の人ですから、20人~30人の利用者のおられる「棟」としますと、すごい数でしょう、こんな施設があるんですかね、、、無いと思いますが、愛和荘では、こんな事態になっているわけですよね、、、
★一番上の行、6月4日午前9時30分⇔背中右側に内出血と書かれていますが、大きさなどは正式な「事故報告書」を見ないとわかりませんが、背中に「内出血」とは、穏やかではないなと思っているのですが、普通に愛和荘奈美に言いますと、「ベットの柵に当たった」とか「薬で内出血しやすい体質になっている」とか、車いすから移譲するときにできた」とか、で背中にできるものなんでしょうか。。。・