月別アーカイブ: 11月 2024

11月6日(水)我が家のゴミ出しから1日は始まります

★今朝も、どんよりとした曇り空・・・青空には、今一届かないかな、水曜日は、我が地域の「一般ごみの収集日」です、月曜と水曜日ですが、我が家は、おおむね、水曜日に出します、主に私の仕事です、台所をすこしだけ整理してゴミ袋に入れて、後、紙くずなど「燃えるごみ」を整理して、袋の中へ、ちょうど「一杯」になったものを、ごみステーションに運んで終わりです、そして、最近始めた約30分の散歩です。少し、薄暗い時からの動き、散歩の頃は、明るくなっていまして、ちょうど太陽がのぼる頃が散歩になります、散歩を始めたころから見ますと、かなり、太陽が昇る時間が、遅くなってきたかなです…曇り空で、今朝は、太陽が見えませんでしたね・・・。

冬至まで、段々と日がみじかくなる」ということですよね・・・・冬至とは?地球の一つ半球が太陽から最も離れて傾いており、日光が最も少ないときにもらう時に、その半球では冬至が発生します。冬至はいつ?北半球では、次の冬至が2024年12月21日のようですから、あと1か月は、段々と太陽がおそくのぼる」ということになるわけです。

★冬至の意味は?冬至は冬の始まりだそうですから、この日、私たちは最も短い日と最も長い夜があります。人々は古来より冬至を大切にし、様々な祭りや儀式で祝ってきました。有名な古代遺跡(ニューグレンジ、ストーンヘンジ、ウッドヘンジ)は、冬至の日の出と日の入りに合わせて配置されます。冬至(とうじ)は、地球の半球の1つが太陽から最大に傾く瞬間です。その結果、この半球では日光が最も少なくなり、ー年で最も日が短くなります。冬至の日の太陽の軌道は、北半球では最も南に、南半球では最も北に位置するということのようです。秋・晩秋の空です、

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第6回希望市へ、10月10日(日)15時から

★美作大学の駐車場側からの入り口・昭和公園(中央児童館隣接地)で、開催予定の、学生・青年に食料品・生活用品を無料で配布する活動、岡山民主青年同盟が主催の催しものですが、お気軽にご参加くださいとの案内です。併せまして、当日のスタッフ、ボランティアも募集しています、雨が降りますと、場所を、総合福祉会館内に変更するという案内ですから、よろしくお願いします。

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★写真は、前回の時の様子ですが、10月20日頃に開催だったと記憶していますが、毎回150人程度の人が参加して、にぎやかに、楽しく、また、学生さんの「生活相談」などもあり、私も一度「市政への要望についてお聞きした」ことがあります。

希望市、(主催者は、【きぼういち】とひらがなでよびかけていますね)に出す、野菜、お米、飲み物なども募集しています、さくら会館に持参していただければ、岡山民主青年同盟のみなさんにお渡しできます。よろしくお願いします。

政治はどう動くのか、日本の首相とアメリカの大統領

★明日からがアメリカの大統領選挙の投票が始まるのかな、アメリカ独特の投票というか、選挙方法です、5日が投票日といわれますが、今日が開票、朝から、其の関係のニュース多しですね・開票は、なんか、1日では終わらなかったような記憶なんですが、どうかな。

★投票は、国民が一人一人投票するわけではなくて、アメリカの有権者は直接大統領を選んでいるわけではなく、州ごとに大統領を選出する資格がある人々、すなわち「選挙人」を選んでいます。そして、「選挙人」が「選挙人団」を構成し大統領候補へ投票するというシステムです。「選挙人」の定員は538人となっており、連邦下院議員数 (435) と上院議員数 (100) の合計数となる535人が国勢調査 (10年ごとに実施) により算出された各州の人口に従って配分され、これに加えてワシントンDCに3人が割り当てられます。

★ アメリカ大統領選挙の投票日は「11月の第1月曜日の後の火曜日」と法律で定められており、今年は11月5日となります。この日有権者の投票により選ばれるのは有権者の代理人とも言うべき538人の「選挙人」であり、その「選挙人」が12月の第2水曜日の後の火曜日 (今年は12月17日) に大統領・副大統領候補に投票し、過半数270以上の「選挙人」を得た候補者が当選となる仕組みですね・・さて、どちらが当選するのでしょうかね、、、日本に与える影響は、どうなのか、?ですよ…

どちらが首相になるのか、どんな違いがあるのか

石破さんと野田さん、どっちが勝つか、今のままですと、石破さんが勝つという数字の上での有利さですよね、国民民主は、野田さんには「つかない」と思うし、今は、石破さんにも「つかない」という方針ですが、仮に、つくとしても、石破さんの側でしょうから、ついたら、過半数越えです、決選投票になったとしても、石破さんが多数となりまか、過半数割れでも、石破総理となり、予算などは、国民民主などが賛成で成立というパターンは、変わらないでしょうし、野田さんが、仮になって、さてさて、どこが、どう違う政治になるのす、今の段階ではつかめないというところ・・・

★いずれにしましても、政治家、源から変わるという日現象には、程遠いのではないでしょうかね…政治の羅回は、一寸先が闇の中です…

11月5日(火)もう5日目が過ぎ去りますね

寒くなりました、空きが深まったといえばそうですが、台風21号が去ってから、急にひえはじめました、今朝も、寒い朝ですね、、、曇り気味の空です、晴れるという霧などの曇りではなくて、雨を呼ぶような曇り空、寒いから、雨にはならないのかも。。昨日は、10時頃からは、晴れて太陽が顔を覗かしましたが、空気が冷たい、足元が冷えましたね、、、11月に入って、もう、5日です、無茶苦茶に早く時が流れていきますね…あと、1か月と少々で新しい年になってしまいますね・・・

11月15日が資源循環施設組合議会ですから

議案があるのかどうかもわかりませんが、議案はまだ送られてきませんが、資源循環施設組合の11月本会議が召集されます、日程が連絡されたという段階です。前年度「決算」があるのかなとは思いますが、どうでしょうかね、いずれにしましても、質問の準備です、何にも無しで「本会議を迎える」ということにはなりませんから・・

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★過去の悪しき遺産、前々市長・桑山さんが管理者となって、選挙直前に、「市長選挙が終わってから購入すべき」と再際にわたって、当時の議会でも問題とし、世の常識からみても、だれが見ても「普通の状態」なら、選挙後に、選ばれた市長が「土地購入の最終結論を出すべき」でしたが、桑山さんは、選挙1週間前に登記を済ませてしまいました、結果として、津山市政では「珍し1期のみで2期目を目指した選挙で落選」という憂き目にあったわけですが、

★次を引き継いだ、宮地市長は、苦渋の選択、「購入された最終処分場建設予定地」でしたから、【別の場所を購入してつくる」という「まったく無駄になる税金」の使用はできないと、「やむをえないという立場」で、桑山管理者が購入した、現在の土地、領家に建設するということになったわけです。

★しかも、無茶苦茶に高く購入した桑山管理者・・・・当時「裏金問題の流れ」もうわさされ、議会でも取り開けましたが、結局は、「うやむや」のままで終わってしまいました。お金と政治の問題は、どうしても、最後は「すっきりとした結論」がないままに終わるというのが「政治の世界」ですよね‥‥ここに、政治不信の塊があると思います、今で見一緒です。

★昨年、かなり論議しましたが、この高すぎる土地代金の支払いが、今でも続いているということですから、困ったことです、そろそろ、建設時の「各自治体の負担金」(土地買収費も含めて・・・)の最終年度くらいになるのかもしれませんが・・

昨年の11月議会での論議は、

★昨年の組合議会で指摘した課題、⇒当時の市長は、公募条件の何倍もの土地購入し、裁判所鑑定の何倍もの価格で、土地を購入するなど、「負の遺産として現在も市町負担金として、当然のごとく支払っている」わけですが、裁判の判決というのは、大きな目安であり、けじめではありますが、政治の世界の出来事は、単に「司法の世界」だけでは、判断できない、決められないこともあると思いますが、負の遺産としての課題をどう思われますか。

 答弁③⇒裁判所の採用した鑑定士の鑑定結果によれば、本件土地の平成22年1月14日時点における適正な価格は、7746万1650円で、これは、本件土地売買契約の代金額やその基礎となった鑑定評価額と比べてかなりの低額でした。しかし、この金額の相違の主な原因は、鑑定において、本件土地が宅地見込地とされず、その最有効使用が現況のままでの山林等としての存置であると判定されたことによるものであり、そもそもの前提が異なっていますので、これらの金額を単純に比較して、本件土地売買契約の代金額が不当に高額であるということはできないものというべきであるとされています。

★また、土地を宅地見込地として評価すべき否かについては、不動産鑑定士としての判断、評価によるところであって、鑑定評価がごみ処理場の建設用地として取得する予定の土地についての鑑定評価であったことからすると本件土地を宅地見込地とし、その最有効使用を本件土地一体としてのごみ処理センター、公共団地等の開発素地と判定したことが、明らかに誤りであったということはできないとされています。以上の諸事情を総合的に考慮すれば、本件土地売買契約は違法なものではなく、私法上も無効であるということはできないとされていますので、平成27年1月9日に確定しました平成21年(行ウ)第22号 金員支出差止等請求事件を基に負担をしております。

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★写真は、昨年の資源循環施設組合議会での、登壇の質問と再質問席からの再質問の様子です、議員は8人、傍聴者なし、という議会の様子です。

★こんなやり取り、ごく一部ですが、高すぎる、広すぎる、土地購入が大きな「負の遺産」として今日に引き継がれているということですから、これを「みとめる」ということにはいかないということです。

過去の「苦い経験の政治」はごめんしたいです

★国政に関しても、お金と政治の動き・・・・政治の底を流れる「変な空気」は、いずこもおんなじということでしょうかね‥‥選挙の結果、国政がどう動くのか、少しは様子が見えてきましたが、失礼ながら、過去の政権与党のありよう、政党の名まえが変わってはいますが、いわゆる「社民党系列」とでも言いますか、元社会党も含めて、民主党も、「政権の座」についています、・・・しかし、政治が「国民の期待する方向」には向かなかった、自民党が「できなかった悪政・コメの輸入自由化や消費税の導入」などを「やった」苦い経験があります。政権に就くこと、自分の思いを政治に乗せることはしました、権力の座もつかみました・・・しかし、政治は、かわらない・・・そんなことにならないようにしてほしい・・・・いろんな政党の組み合わせは、経験ずみの日本です、ただ一つ、経験のないのが、日本共産党を加えた「政権」が未経験です、今回、思い切って、日本共産党を排除ではなくて、加えて、「野党連合」を作ってみたら、新しい政治の道・世界が開かれるとおもいますが・・・むりなんでしょうね・・・こんなことを思う日々です。

野田さんが総理の時にできた消費税ではなかったかな?

★2011年(平成23年)8月30日、菅第二次改造内閣が内閣総辞職し、野田佳彦氏が内閣総理大臣に指名され、同年9月2日に正式に野田内閣が発足した。鳩山由紀夫内閣、菅内閣に次ぐ第3代目の民主党内閣である。就任直後、内閣の基本方針が閣議決定された。その中で、「必要な社会保障の機能強化を確実に実施し、同時に社会保障全体の持続可能性の確保を図るため、社会保障・税一体改革成案を早急に具体化する」との一文が入った。

★9月16日に野田内閣初めての政府税制調査会が開催された。所信表明では、政策の優先順位として、①震災復興、②原発事故の収束、③日本経済立て直し、④社会保障・税一体改革となっていた。最大の課題は、東日本大震災の復旧・復興の財源をどうするのかということであった。11月10日に民主・自民・公明税調会長取りまとめなどを経て三党合意が成立した。

★消費税の議論が始まったのは12月からである。「政府・与党社会保障改革本部」が開催され、本部長(総理大臣)より年内を目途に、同年6月の「成案」を具体化した「素案」をとりまとめるなど以下の指示が行われた。

★この総理指示を踏まえ、政府税制調査会において、社会保障・税一体改革作業チームを設置することとし、消費税を中心とした税制抜本改革の具体的な姿について検討を行い、論点の整理を行うこととなった。さらに作業チームからの検討状況報告を踏まえ、政府税制調査会の全体会合において一体改革成案(税制抜本改革部分)の具体化に向けた審議が行われるとともに、これと並行して民主党の税制調査会・社会保障と税の一体改革調査会の合同会議においても関連団体からのヒアリングや上記の一体改革作業チームにおける議論の状況等を踏まえつつ、様々な分野・論点について一体改革成案の具体化、年内決着を目指して議論が精力的に行われた。

★特筆すべきは、民主党の意思決定の仕組みが大きく変化したことである。鳩山政権、菅政権と継続してきた政府税制調査会の一元化(政府と党)をやめ、与党の事前審査制を復活させた。党税制調査会長として藤井裕久氏(元財務大臣)が任命された。自民党時代の与党・内閣の二元制度の復活である。その下で、以下の様々な議論が行われた。

★多岐・多分野にわたる論点をこなしつつ、同年12月29日に開催された民主党税制調査会・社会保障と税の一体改革調査会合同総会において「税制抜本改革について(骨子)」が取りまとめられた。野田総理自ら党の合同総会に出席し、消費増税の実施時期について当初案から半年ずらすなどの妥協案を示しながら、深夜での決定(了承取り付け)となった。かくして、消費税が導入される結果を生み出したのである、というのか、マスコミから抜粋した、勝手の野田政権下の出来事です。

★野党とか、「革新」とか言うてみましても、いざ、政権の座につきますと、こうしたことに直面して、身動きが取れなくなるというのでしょう、日本をしはいする勢力・資本の力は、普通では見えませんが、計り知れない巨大な塊がありますからね…

11月2日(土)台風21号で雨、四国への交流会の旅

★外は雨ですが、予想していた強さは、今のところありません、このまま、曇り、晴れにむかってほしいめめ・・・、昨日のお昼から雨が降り続きます、台風21号が東シナ海、沖縄の南西方面へ、今日から水利組合の普段の苦労を報いるという意味もあっての友好を深める旅行です、8月でしたか、一度企画しまして、台風で「延期」していたのですが、また、今回も台風になるという、妙な生きがかりになりましたが、雨の中ですが、バスは動いて、瀬戸内海の各く橋も渡れそうですから、出発の予定で、今朝は動いています。

★20数人の旅ですが、気心の知れた人たちとのバス旅行、ゆっくりと温泉に入って、にぎやかに、大話死して、私は、飲むことも、歌うこともできませんが、飲んで、食べて、歌って、買い物して、のんびりの旅です。そうそう、道後温泉です。

★ということで、明日の3日(日)文化の日と明後日の4日(月)振替休日の2日間「雑記の書き込み」をお休みしますね。よろしくお願いします。

美作水平社100周年記念誌のお話

★津山市協議会が、世に問いかける最大の課題は、なんと言いましても、1981年7月13日(月)に開催しました、-本音で語る-同和問題シンポジウム以来続けてきた、いわゆる「本音シンポ」の取り組みだと自負しています。この集会が終わった後、参加者が「お前さん、どえらいことを考え付いた、部落問題の新しい歴史の一コマをつくったのではないか」と評価してくれて、私に握手を求めてきました。あの感激、味が「忘れられない思い」として、今でも、鮮明に脳裏に残っています。

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※気を良くして発刊した「-本音で語る-同和問題シンポジウム」報告集です。記憶の範疇ですが、京都の研究所のお世話にもなり、5000~6000程度サクセイシテはんばいしたのではなかったかな・・・。

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少し読みにくいですが、当日の問題提起、「何を言われても、組織の側・地区の側は、だまってきくだけ」と宣言した集会、「恐ろしいことかんがえた」とまで言われ、そしきないぶでは「それでも・・・」という意見が田ショアありましたが、私と当時の書記長(今は亡き大成さん)の「わがままと我流」で、押し通しました首魁、黙って聞くという日本で初めての集会でした、そして、聞くだけで、講演したわけでも名入りに、さんかしゃから「感激され、ほめられ、よろこばれた」という、妙な体験を下集会でもありましたね‥

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※報告集の1ページ、今でも使えると思える「タイトル」の報告ページです、「いろんなタイプの人間のさまざまな開花を」、と題して、地区であることを背景にして、強がって生きている人間像を「ふつうのひとになろう」と呼びかける運動の源にもなったページです。43年まえの物語ですから、歴史ものではあると思っています。自我自賛のみですが…

★今流に言いますと、やったぁー、という感じなんですね。今改めて思いますと、全国の水平社が創立されて、59年、美作水平社が創立されて58年(美作水平社は1923年7月5日に創立・意識していなかったことですが、創立記念日の5日に近い日を定めていますね)目にあたる、部落・同和問題の「新たな駐留を求める活動」が始まったということになります。

★ここの取り組みの仔細は、1993年7月4日に発刊されています、「美作水平社創立70年記念誌・部落解放運動の歩み」に記載されていますから、その後、美作地域全体に広がった「本音シンポ」の動き、そして、多くの全国各地域での「本音シンポジウムとともに。津山からのれぽーと」と題した、講演会のとの組などが主軸として100、ン記念誌を編纂ということになりますね。よろしくご理解ください。

11月1日(金)国政はどう動いていくのか、?

★今朝は、どんよりとした曇り空で、今にも、雨が降りそうな気配です。明日からの水利組合の旅行」は、どうかなの心配です…11月になりました、2024年も残り2カ月です、衆議院選挙の結果が、微妙な差で、自民・公明が過半数割れ、野党全体では、過半数を超えているわけですが、野党にもいろいろありまして一概ではないというところ…自民公明で首相の投票は、一番数が多い、国民民社と威信が、今回躍進して「どこにつくか」で決まりですが、今のところ「どちらにもつかない、と瀬くじでやねる」との方針、・・・

★立憲に日本共産党などが投票するとしても、過半数にも足らないし、自民・公明にも負けます、結果は、決選投票ということになりますと、国民や威信が今の方針通り貫くのかどうか、…政治の世界は、いっすんさきが「闇」というケースを沢山みてきましたからね・・・

石破第二次内閣の可能性が生まれますかな…

★うっかりしたら、自民・公明が「多数」ではあるが、過半数割れで「内閣を構成する」という可能性も生まれてのかもしれませんが、石破第二次内閣ということになるのでしょうか、絶対多数の過半数ではありませんし、自民・公明から、大臣を出し、議長とか、委員長とか、「採決に加われない議員」が何人か出ますから、過半数割れの「多数」という不安定内閣になるでしょう、地方自治体にとっても、国民から見ても、どうなるのか、の不安がおこるかも・・・

★とはいえ、予算などになりますと、騒いでいるほどの出来事にはならない、絶対多数が「賛成」です、現に国民みんしゃなど「賛成する土壌づくり」ではありませんか・・・言葉だけの餅遊び」は、もうこりごりなんですが・・・
、今までの「野党」がそうです、なんでも「賛成という野党」もありますから、心配するほどでもないのかも・・

「ごきげん」は、どうしましたか、の声多し

★先週の日曜版から、末永弘之の市議会報告三「ごきげんいかが」(しんぶん赤旗と一緒にお届けします)を、1カ月程度「お休み」させてもらうことを、10月17日号(1370号)でお知らせしましたが、日曜版読者の人から、「ごきげんはどうされましたか」と問いかけられるようになりました。

★休刊にして、2週がたちましたから、こんな声が出るのかなと思います、「読んでくれていたんだ」と改めて思いますし、ありがたいことだとうれしくはなりますが、「…実は、11月の末まで、選挙があったのと、どうしてね、きっちりと整理して製本にしなくてはいけない仕事(美作水平社創立100年記念史誌の編纂・作成作業)がありまして、すみません、おやすみです・・・と説明といいますか、「言い訳」のくりかえしですね。。。。。

★とは、言いましても、本当に、編纂の作業が進んでいるのかといいますと、中々思うようには進みませんね、つい、やぶ用事が先に、先に、来まして、肝心な作業が、後回し、後回しということになりがちです。が、なんとか、毛津末には、印刷・製本へとこぎつけなくてはです。

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★人の世に熱あれ、光あれ、と、高々に「人間宣言」といわれるスローガンを掲げた全国水平社、そして、戦後、国策樹立(特別措置法制定を求める全国闘争・九州から東京へ徒歩で行進、途中、各府県や市町を訪問)運動へと流れた歴史です、美作水平社は、全国の創立から1年後に生まれています。

鶴山会館

★上の写真は、美作水平社が創立された建物、津山鶴山会館の風景です。大正12年7月5日のことでした。

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★1993年7月に「部落解放運動」を閉じた集会です、この時から「津山ネット」が生まれました。水平社70年記念集会の出来事です。ここから、30年の歴史を資料として残しておきたいの記念誌作りです。