★昨日も、朝はそれほど冷えませんでしたが、1日中、寒い、冷たい風の1日、今日は、土曜日で、やや、ゆっくりの朝、散歩も、時間が遅いです、ちょうど日之出に会いました、7時13分頃から、7時25分にかけて、ゆっくりと昇ってくる太陽を東に見ての散歩でした。
★今日から2月です。1月は【行く】(いぬるともきいたことがありますが・・・)かな、2月が【逃げる】そして、3月は【去る】でしたか、月日の流れが速いことを言うのだろうと思いますが…1月も、アッという間に過ぎ去りました。特に1月は、正月から三月までは行事が多く、あっという間に過ぎてしまうことを、調子よくいったものだといわれます。二月は逃げる、ですが、元々「28日間」しかありません、4年に一回29日がありますが、やはり「早くすぎる」という感覚になりますよね。1月は、往くと書く場合もあるようですね。
★面白い話で、「誰がそんなことを考えたのか」との問いに、「毎日忙しくしている人は、そんなことを考える余裕はないから、よっぽど暇な人が考えたのでしょう、という名言を言われた人があったとか、あるとかの話です。真実は、どうなんでしょうかね‥インターネットで調べてみるのも面白いかもですね。
美作水平社創立100年物語仕上げへ
★どうも、まだ、定まりません、おおむね、終わったと思いますが、いろいろと意見もあり、資料も出てきたりです、自治体との交渉、話し合いが「津山市」のことしか書いていないということ、他の自治体についてどうするかも、悩みの一つですね。
★書き始めは、美作水平社70周年記念式典の取り組みからです、この催しは、1923年7月4日(日)に、文化センター・津山鶴山ホテルを中心として、美作水平社70周年記念事業が取り組まれました。後世に、部落解放運動の全盛期時代を物語るものかもしれません。
※写真などを使っての紹介です、文化センターにおける一部・記念式典の様子です、1200人の参加、3階まで満席でした。住寄愛水さんが地区委員長でした。岡映さん、手塚亮さん、大林秀弥さん、そして、水杉一夫さんらを表彰・感謝状を渡しました、一人、一人に応じた違った言葉で感謝状を書いてもらい、渡しました。
こうした記事の下記はじめなんですが、さて、どの写真を使うかということになりますと、大いに、迷うということです。全体の様子ができるだけわかるようにとは思いますが、中々ですね。
同和を乗り越えた若者たちの結婚は?このタイトルは、100年史には、むかないかもです・・・
今から、25問程度前の書き込みです。
【近年、同和問題を乗り越えて結婚する例は多くなっています。「同和・部落問題」をしっかりと学んで、理解をして、「分かった、だから部落の子を好きになって差別を乗り越えて結婚する・・・」!、そうなんかといいますと、「おっちゃん関係ない!、何をいようんなら」と必ずいいます、「自分が好きになったら、結婚してもえんだろう」といいます。
★関係ない、んですよ、部落問題を乗り越えて結婚した、素晴らしい経験だ、「同和教育の成果が出てきた・・・」なんて、一生懸命「同和・部落」と関係して考えようとするのは、特定の年齢層と特定の「教育・運動」を考えている私たちだけです・・・・、当事者の若者たちは「関係ない」といっています。では、何が「同和・部落」を乗り越えさせているのか・・・。日本国憲法の「婚姻の自由の規定」です、これが、若者たちを変えました、時代の流れ、歴史の動き、社会全体の近代化です、・・・・・。この流が、部落問題でもっとも困難で、最後まで「残る」と危惧されている「結婚問題」を乗り越えました・・・。
わざわざ教える必要は無い・部落民宣言に等しい教育はするな、やめよう野運動を提起です
★「子どもたちや孫たちに「同和」という名の付く特別の地域がある社会ではなく、普通の社会を残してやりたい」
→全国水平社創立75周年、津山市協議会創立45周年で高々と歌い上げた、津山市協議会の「市民へのアピール」です、このスローガンが運動の貴重となり、私たちの新しい運動の目標が定められていきます。そして、特別対策事業のない時代づくりへ、同和地区という「汚名」を返上する、線引きをなくする方策の研究に入ります。同和という名前が、特別の対策が、特別の地域が、そこにある限り「同和地区の人、同和といわれる」?
★やがて、同和が「ある」ことがおかしい、というべきであり、色々と理由をつけて特別に扱うのがおかしいと明確に方針化していきます。
★お前は「同和の子どもだ」と教えるのではなく、社会にそんな言葉や対策事業や、特別の扱いや、それを利用したりすることがあるのが「間違い」と教えてやればそれで充分です。それ以上は、絶対に不必要です。