2月1日(土)2月になりました、時の流れが速いです

★昨日も、朝はそれほど冷えませんでしたが、1日中、寒い、冷たい風の1日、今日は、土曜日で、やや、ゆっくりの朝、散歩も、時間が遅いです、ちょうど日之出に会いました、7時13分頃から、7時25分にかけて、ゆっくりと昇ってくる太陽を東に見ての散歩でした。

2月1日朝

★今日から2月です。1月は【行く】(いぬるともきいたことがありますが・・・)かな、2月が【逃げる】そして、3月は【去る】でしたか、月日の流れが速いことを言うのだろうと思いますが…1月も、アッという間に過ぎ去りました。特に1月は、正月から三月までは行事が多く、あっという間に過ぎてしまうことを、調子よくいったものだといわれます。二月は逃げる、ですが、元々「28日間」しかありません、4年に一回29日がありますが、やはり「早くすぎる」という感覚になりますよね。1月は、往くと書く場合もあるようですね。

★面白い話で、「誰がそんなことを考えたのか」との問いに、「毎日忙しくしている人は、そんなことを考える余裕はないから、よっぽど暇な人が考えたのでしょう、という名言を言われた人があったとか、あるとかの話です。真実は、どうなんでしょうかね‥インターネットで調べてみるのも面白いかもですね。

美作水平社創立100年物語仕上げへ

どうも、まだ、定まりません、おおむね、終わったと思いますが、いろいろと意見もあり、資料も出てきたりです、自治体との交渉、話し合いが「津山市」のことしか書いていないということ、他の自治体についてどうするかも、悩みの一つですね。

★書き始めは、美作水平社70周年記念式典の取り組みからです、この催しは、1923年7月4日(日)に、文化センター・津山鶴山ホテルを中心として、美作水平社70周年記念事業が取り組まれました。後世に、部落解放運動の全盛期時代を物語るものかもしれません。

※写真などを使っての紹介です、文化センターにおける一部・記念式典の様子です、1200人の参加、3階まで満席でした。住寄愛水さんが地区委員長でした。岡映さん、手塚亮さん、大林秀弥さん、そして、水杉一夫さんらを表彰・感謝状を渡しました、一人、一人に応じた違った言葉で感謝状を書いてもらい、渡しました。

こうした記事の下記はじめなんですが、さて、どの写真を使うかということになりますと、大いに、迷うということです。全体の様子ができるだけわかるようにとは思いますが、中々ですね。

同和を乗り越えた若者たちの結婚は?このタイトルは、100年史には、むかないかもです・・・

今から、25問程度前の書き込みです。

【近年、同和問題を乗り越えて結婚する例は多くなっています。「同和・部落問題」をしっかりと学んで、理解をして、「分かった、だから部落の子を好きになって差別を乗り越えて結婚する・・・」!、そうなんかといいますと、「おっちゃん関係ない!、何をいようんなら」と必ずいいます、「自分が好きになったら、結婚してもえんだろう」といいます。


関係ない、んですよ、部落問題を乗り越えて結婚した、素晴らしい経験だ、「同和教育の成果が出てきた・・・」なんて、一生懸命「同和・部落」と関係して考えようとするのは、特定の年齢層と特定の「教育・運動」を考えている私たちだけです・・・・、当事者の若者たちは「関係ない」といっています。では、何が「同和・部落」を乗り越えさせているのか・・・。日本国憲法の「婚姻の自由の規定」です、これが、若者たちを変えました、時代の流れ、歴史の動き、社会全体の近代化です、・・・・・。この流が、部落問題でもっとも困難で、最後まで「残る」と危惧されている「結婚問題」を乗り越えました・・・。

★ここから言えることは、ことさら「同和・部落」を特別に教えるのではなく、日本国憲法の「民主的要綱」、教育基本法の「人が人を大切にする」という理念、ここをしっかりと教えれば、「部落問題は解決できる」・・・・・、これが、私たち津山がつかんだ経験です、「特別の教育や制度を教える」のではなく、普通のことを教える、当たり前のことを、普通に教えていくことだけで、部落問題はなくなります。
★それでも「聞かれたら答えてやれる親になろう」と数年は方針化していましたが、今は、それもなくなりました。全国で「同和教育・解放教育をやめてほしい」「同和という名の付く特別の扱いはすべてやめてほしい、

わざわざ教える必要は無い・部落民宣言に等しい教育はするな、やめよう野運動を提起です

★「子どもたちや孫たちに「同和」という名の付く特別の地域がある社会ではなく、普通の社会を残してやりたい」
→全国水平社創立75周年、津山市協議会創立45周年で高々と歌い上げた、津山市協議会の「市民へのアピール」です、このスローガンが運動の貴重となり、私たちの新しい運動の目標が定められていきます。そして、特別対策事業のない時代づくりへ、同和地区という「汚名」を返上する、線引きをなくする方策の研究に入ります。同和という名前が、特別の対策が、特別の地域が、そこにある限り「同和地区の人、同和といわれる」?

★いつまでも「同和・部落」ではない、限りなく同和をゼロに」、この方針が数年前から生まれてきます。


やがて、同和が「ある」ことがおかしい、というべきであり、色々と理由をつけて特別に扱うのがおかしいと明確に方針化していきます。

★お前は「同和の子どもだ」と教えるのではなく、社会にそんな言葉や対策事業や、特別の扱いや、それを利用したりすることがあるのが「間違い」と教えてやればそれで充分です。それ以上は、絶対に不必要です。

★ここまで、到達するのに30年、苦悩がありました、抜け道の無いトンネルから抜け出たのは、やはり本音で語るシンポジウムを支えた私たちの心構えでした。普通の教育で事が足りる、それは、憲法や教育基本法の定着という社会の流でした、近代化でした。
ややこしい、難しい時期を経験したものですが…

1月31日(金)市議会役員構成への課題整理

★朝は、曇り空・・・2年前、市議会議員としては、2期8年お休みして、8年ぶりに復帰した市議会、最初が「正副議長など市議会の役員に関する課題」でした。かって、私が在籍していた市議会で作ってきた「津山市議会 議会構成に関する申し合わせ」について、結果としては、「これをまもっていない」ということで、正副議長、議会運営委員会などに「抗議と公開の質問書」などを提出しました。水稲がありましたが、結果として「他の画題におわれた」ということもあり、公開という措置はしないままに今日を迎えました。

★そこで、15日の全員協議会・議員会議などで、「議会構成に関する申し合わせを、護ように正副議長など、役員を創るのかどうか、申し合わせを守らないのなら、申し合わせを破棄してしまえばよい、あるのならまもるべしではないか」と意見を述べました。そして、それを受けて、各会派代表者会議菜とで、今後検討する、会派での意見を上げるようにとなりまして、今、意見の集約中というところです。

★確認したのは、3月議会で「議会構成替え」をするのではなくて、5月に臨時会を開いて行うということです。従いまして、それまでに、意見調整をして、最終決定を議員会議で行うということになります。

私=末永(一人ですから無所属です)も意見上げます

★この申し合わせは、2009ねん9月1日から実施しています。私が責任者となり、意見をまとめて、「申し負わせ」を作ったという記憶があります。役員の任期を「2年とする」ことから始まり、「その他」まで、9つの課題を整理して申し合わせ事項としています。途中何回か【変更】していますが、2017年4月を最後に、現在まで変更されていません。たぶん、この申し合わせを、棚の上において、そんなこととは関係なく、多数派を構成したグループによって、「思いのままに議会構成を行ってきた」のではないかなと思えます。

★今回、あらためて「申し合わせは必要・護」ということを前提として、【変更すべきところがあれば変更する」という方向性を出して、今、動きかけているということです。

議場5

写真は、市議会全員協議会室です、議員会議の会場にも使われます。

「議会構成の申し合わせ事項」の真骨頂は、対決ではなくて、話し合いで決めるです

★昔もややそんな感じはありましたが、今のように、明確な区分ではありませんでした、と、言うのは、議長室を構成した「多数派グループ」(幾つかの会派が集まる)が、時の首長さんを「護・支持する」ということとは、まったく無関係に集まっていました。ということです。今は、議長室を作ったグループは、市長擁護派と決まっていますから、おかしいのです。議会と当局は、本来は、対極点(支持する、市内ではない)は基本が「当局のちぇく機能をはたして行く、切磋琢磨して、対決して、政治を寄り、マシに。因り良くしていく」というのが、本来ですから、議員間の「対決、もめごと」は、議会内部の問題として処理するのが、普通と思えば、かんたんなことなんですがね・・

★現在の申し合わせ事項の3、正副議長及び監査委員の選出という項目では「正副議長は、話し合いで決める、決まらないときは、選挙する」とし「監査委員は別途きょうぎする」となっています。

※これは、本来は、議会の「三役」は、議長室校正の多数のグループが「独占」するのではなくて、三分の一は、少数グループから出すという内容もあるわけです。ここが、話し合いの大切な事柄、議長は、私らがもらいますから、副議長は、では、あなたたちで…と、美しくいきましょうということ。。。

★ここの話しあいを、まず、会派代表者によって話し合う、議長候補者、副議長候補者、を持つ、会派が、しっかりと基本を固めて、話し合う、それが無理になったら、監査委員をと、こんな話をして決めるということですが、会派の構成とか、グルーブの攻勢をつくる時から、正副議長、監査をセットにして作るから、「申し合わせと違う事柄」になってしまうのではないでしょうか。

今日は、午後から県庁です、県庁行着と言うていましたね

★今日は、環境問題を中心として、他のも議員さんの案内で堅調に行きます。昔は、県庁に行くときは、一兆頼の服を着ていくということで「県庁行着」といわれて、いわば「星座して、改まっていくところ」というイメージだったんでしょうかね・・・

★用件は、ごみ処理に関する問題、津山市の行政ともかかわりがあり、津山圏域資源循環施設組合の任務とも関係がありですね、、、「ゴミ焼却あとの焼却灰」の最終処分について、今、クリーンセンターでは、本施設では、ごみを焼却して発生する焼却灰を資源化施設へ搬送し、有効利用を図っています。 焼却炉で燃やされたごみは焼却灰となり金属選別機で鉄と不適物を回収した後、搬出します。 また、節炭器やろ過式集じん器より排出される飛灰も資源化施設へ搬出します。

ゴミ3

ゴミ1

ゴミ2

写真は、現在の「最終処分場」のものです。灰は、捨てていません。

★かっては、「灰」そのものを埋めていた事態゛、その名残、こうした現状と、過去の課題、横山の最終処分場をめぐる「焼却が終わったおわった」という認識と「処分場をはいしした」という認識と、どんな実態の違いがあるのかなどを調査、研究というところです。

1月30日(金)1月が終わります、早いね

★昨日は、1日変な天気、太陽が出たり、曇ったり、時々雪が舞ったり、雪は積もる雪ではありませんすが、それでも風に乗って、吹雪の感じの瞬間もありました。今朝は、冷たくないです、曇り気味かな、霜もなく、霧もなくの朝です。

★1月の暦が残り1日です、あわただしく月日が流れていきますね。昨日印刷してもらった「末永弘之の市議会報告・ごきげんいかが」を日曜版に挟んで配布です、散歩の道すがらに、10数部地域配達です、金曜日の散歩は、いつもよりは、時間がかかりますし、読者の方のポストまで行ったり来たりで、可也の距離を歩くことになりますね。散歩していなかったときは、車でグルート回っていたのですが、朝寒いですから、厚着して、頭から「かぶり物」して配ります。

★昨日は、車の免許、「認知症検査」でした、書き換えでないのに、?、でしたが、信号でのいったん停車が「十分でなかった」という違反、そういえば、そんなことがありましたね。そのために、改めての「認知症検査」という案内だったわけです。

津山市議会「反問権」実施要項の定めへの意見

★12月議会で、近藤議員に対して行使した、谷口市長の「反問権」が一つのきっかけとなりまして、その是非論、内容の確認とか、内容の是非論など、議会内部で物議を呼び、議会運営委員会で、各会派の意見を求めるということになりまして、私も、ひとり会派(日本共産党とは規定で名乗れない、無所属と称します)としての意見を提出かる準備終わりました。

★実は、もう一つ、同じような扱いで、5月臨時会で行います、議長・副議長などの市議会役員づくり、行く印構成に関する申し合わせ事項の「変更へのいけん」というのも、集約していまして、その、内容と合わせて、近く提出するかなです。

★反問権にかんする「定め」は、1条から7条まで、簡単な文章で決められている議会内部の「定め」ということです。私が、気になりますのは、第4条です。「反問は、1つの質問項目に対して原則一回とする」と現在はなっています。これが、解釈で、多少の「あいまいさ」があるというのが、論議の一つですから、整理が必要ということです。

★どこの文章を、どう変更・加筆などすればよいのか、?、の図、「定めの表現」は、別として、どうあるべきとおもっているのかですよね。。。1議員が「3項目質問」できるという定めですから、反問は、それぞれの「項目ごとに」一つだけ、で、一回で終わり、というのが、まず、描かれますから、ただ、1項目で、その中を「いくつかに分けて反問」というのは、どうもと、おもいますから、ここの点が、文章として、同「定め」に書くかということですね。

★1議員の質問で、1項目ごとに、1件・1回とでもしますかね、、そして、質問戦の準備の過程で、おおむね、議員の質問内容がわかれば、その自伝で「反問」を準備する、準備するとしたら、「事前通告」というのを「原則」にする必要があるのかもしれません。

★議場で「突然質問されて、その質問に「反問」というケースは、事前通告など当然できませんから、その場での「議事の流れ具合」ということになるとは思いますが、・・・

下の写真は、市議会の議場、本会議中の様子を、傍聴席から写したも→間違いです、訂正します、「私の席」からです。12月議会のようすです

12-4

★少なくとも、議員に対して、「可能な限り質問内容を事前に知らせてもらって、資料とか的確な答弁のためにとかを言うのであれば、メモしたものを読む「反問」は、事前に通告しておくというのが、ルールかもしれませんね…あっさりと、なにもかも「ゼロ」として、議事の振興の予定がありますから、それでも、議員の質問時間だけ、1時間以内と決めて、後は、フリーとする、これが一番ベターと思いますが、そうは、ならないでしょうね。

中間地方選挙への準備、各地で抜かりなくです

昨日が、美咲町の選対会議でした。4月が選挙ですから、3月の中頃に「事務所開き」をして準備を本格化させるかなということと、参議院選挙も併せて、党を強く大きくする活動、宣伝などの日程も具体化し、頑張っていかなくてはいけませんが、活動家が、高齢化、大変です。

★鏡野町が3月25日の告示です、先日、26日に事務所開きをしまして、私は、地域の家事騒動で不参加、夕方に「陣中見舞い」には行ってきましたが、個々も、党を大きくし、宣伝戦を強めていかなくてはということでありました。2つとも、個別の「対話活動」などは、本人も含めて進んでいるようですが、本格的な動きは、これからというところです。

1月29日(水)白川さんの日程が少し変更です

★昨日は、朝の散歩時間、晴れてもなく、曇るかなと思いましたら、家を出て、さくら会館に行く頃、御前8時過ぎから、とても良い天気になりまして、晴れましたが、10時頃からは、風もあり、冷たい空気、空は、曇り、午後も曇りが続きました、今朝は、うっすらとした雪化粧の朝です。冷たい風がありますから、寒くなるかなです。

★昨日28日午前中、日本共産党の地区の正式な会議の前に、2月8日(土)に来津予定の、参議院予定候補の白川よう子さんの日程、集い(鏡野町と美咲町と津山【正式には、末永弘之の市議会報告会】の細かい日程など)の打ち合わせを行いまして、白川さんの都合で、日程の変更でした。朝、9時2津山駅に着いてから、夕方の6時21分津山発の列車で見送りまでが、地区の責任、大部分を私に任され、大まかな日程、コースなどは作りましたが、帰りが午後4時37分発で津山を出発になりました。

★全体としての、細かい時間とか、集いの司会とか、白川さんの話の時間とか、中々、いざとなりますと、いろいろと決めておかないといけないこと多しというところです。

最低でも、津山駅前の街頭宣伝4時40分~を、4時10分からにと変更は必要、夕食は無しの日程ですね。

★書くことは簡単ですが、街頭宣伝一つ取りましても、宣伝カーを車庫に取りに行き、プラスター・のぼり旗などを準備し、駅前まで車を持ってきてくれる人、そして、全体の後援会に「街頭宣伝」の場所へ参加して、一緒に道焼く人に訴えてもらう段取りして、少しは「休憩」して、夕食の場所を予約し、一緒に食べてもらう人を作って…と、バタバタと変更の段ども大変なんですね。まぁー、白川さんの日程が最優先、しかたないですが。。。

中間地方選挙へ本格的な準備を

★地区党としては、3月16日(日)から赤磐市議選挙です、現職の勇退の後、新人一人を抱えての二人選挙、そして、3月26日(火)告示で、鏡野町議員選挙、現職一人で2期目へ挑戦、4月6日(日)が真庭市と美作市の市議会選挙告示、真庭は現職が2期目へ、美作市は、現職勇退で、元職の「高齢」が多少気になる人の挑戦、年レンガ「私にも若干影響あり」という感じの選挙戦、そして、中間地方選挙のラストランが、4月8日(火)告示で、美咲町町会議員選挙です。

★もっとも、ラストランという点では、投開票は、真庭市・美作市・美咲町が4月13日(日)ですから、ラストランは3つの自治体ということになります。ここで、いわゆる「中間地方選挙う」が終わります。

新年早々の全国の地方選挙の結果、もっと、勝てです、やや、調子悪し日本共産党というところかな?

★全国の地方選挙、正月早々の選挙、倉敷市、北九州市、など、ソレゾレ、めいっぱい奮闘し、頑張って、頑張ってですが、結果としては、今一、勝てない、大きくならないで、どちらかというと。減です、もっと、強くなれ、大きくなれです、それは、だれの責任でもない、自分自身の責任、皆で力を一つにして、頑張ろうです。

参議院選挙は、なんとても全国比例区5人を・

 

参院選勝へ ワンチームで – 日本共産党の5議席を

 

5人そろい

★上の写真が、ソレゾレ5人の候補者の特徴など紹介したものです、是非とも、7月にはよろしくお願いします。

参議院選挙前後には、来年の2月のつやましちょうせんきょが「本格的に動く」と思いますが、どうなんでしょうか、びっくり仰天、いまさら、そんな、という感じの「うわさ」も出ていますが、三つ巴、四つどもえ、いやいや、2日もとか、とかく無責任な「うわさ話」でもちきりですね、、、事実は、本人と、まさに、直接の支援者しかわからないこと、私たちのような、外野席、そのまた、外野の広い人々には、さっぱりわかりません、というところです。

でも、7月前後には、保母、見えてくるというのは、間違いないことだと思いますが、とはいえ、前市長の宮地さんも、敗れましたが、近藤さんも、そういえば、正月を過ぎて、1か月前くらいに「正式な発表」でしたから、・・・それを思うと、いつとはいえませんか、、、とかく、政治の世界は、信用がなりませんというところでしょうかね。

1月28日(火)福力荒神様の旧正月が終わりました

★今朝は、冷たさはありませんが、曇りかな…・暦の上では、1月29日が旧正月の元旦となっていると思いますが、私の子どものころは、「荒神様」といえば、旧正月の楽しみの一つでした、中学校はお休み」でもありました。最近は、きゅうしょうがつではなくて、「1月の最終の土曜・日曜・月曜と3日行うように変更しているようです。今年の福力荒神様は、25日の土曜日~27日(月)でした。25日の前日位から、また、冷たい風が吹き、寒い日が帰ってきました。旧正月、福力荒神様へお参りをと考えていましたが、止めて、家の「守」しまして、午後3時前から、買い物にでかけまして、様子見るかなと、大崎は通りました…が、夕方で、人では少なかったです。まむし除けと安産の神様として知られる福力荒神社の大祭です。

荒神様

日本共産党が、大きく、強くなれの願い、倉敷市は残念で、1名の減となりました。

★一昨日の日曜日は、党津山市委員会の「さくらブロック」の新年宣伝の予定でしたが、地域の火災事故ということで、延期しました。自公の過半数割れという新しい時代の中、参議院選挙勝利日へ、党を大きくしたいの願いです。

★一昨日、日曜日投開票の「中間地方選挙」・・・注目の倉敷市では、一人減で3人に、基地吸収しでも、9人の当選を目指しましたが、7人の当選に留まっています、その他の市町も、どうも、全体で「今一」という成績かなと思えます。頑張らなくてはですね。

★今まで、野党と言われていた政党も含めて、党の名前は、変わっては来ましたが、日本共産党を除いて」の「連合政府」は「自民党と一部野党」とか「日本共産党をのぞいて「野党だけの連合」で、政権を取ったことはありますが、全てが、「いまいち」です、国民が願うような政治はならないで、すぐ、自民党に「負けて政権が自民に戻る」ということできました。

★7月の参議院選挙で、全国比例区の5人をチームとして全員の当然を、そして、小選挙区でも、東京、京都などで勝利をして、今まで、経験していなていない「政党間の組み合わせ」、日本共産党を入れた、市民と野党の連合政権を作ろうではありませんかとの訴えでした。

5人宣伝広島

上の写真は、広島市での、5人そろい組での宣伝、衆議院中国ブロックの大平さんと、6人の宣伝のあとの様子です。下の写真は、参議院選挙、おかやまの責任地域、白川よう子さんの写真です、よろしくお願いします。

白川さん1

2月8日(土)ようこそ津山へ、来津予定゛参議院選挙→5人をセットで、白川よう子さんを是非国会へ送ろう

★午後2時30分から、津山中央公民館で、末永弘之の市政報告会を行います。2期8年ぶりに復帰させてもらって2年がもうすぐきます、津山の市議会は、どうなのか、私が所属している、津山資源循環施設組合(クリーンセンター)はどうなのか、報告します。

★この報告集会に、この日、鏡野町、美咲町に凝られれる白川よう子さんが、応援、激励に来てくれます。白川さんに、挨拶・報告もしてもらう予定です、多数の皆さんのご参加をお願いします。

チラシ

1月26日(日)予定が変更

★日曜の朝、散歩が終わり、事務所で日の出前の写真を撮って、日刊紙の整理、ポスト分けして、帰宅の時に、サイレンの音、・・・かなり激しくなりれました。家に帰って、朝食、妻が『ドカン大きな音がして、バリバリという音がする、なんだろう・・・」と声、そこへ、我が家から、西方面に住んでいる友から、「火事、おまえとこではないか」という問いかけと知らせ、表に飛び出しまして、隣へ。○○さんの家、藪が燃えるかも、水掛けた方が」」」」とバタバタです。

★その隣が、真っ黒な煙と、おおきな火の粉、真っ赤に燃え上がった炎、怖いのと、類焼なども気になり、現場に直行、・・・結果としては、長屋も含めて、おおきなおうちでしたが「まる焼け、全焼」です、孫のお嫁さんと隣近所の人たちと相談、急いで、「握り飯」づくり、、、、最初が、散歩したままの上着を脱いだ、薄着でしたから、途中で帰って、着替えをして、再び現場へ…

★一人、行方が分からないらしい、という話が飛び込んできまして、たいへんだ・・・消防の人達が、丁寧に、焼けたものなどを動かして検索していました…

★と言う、突然の災難、あわただしさで、鏡野町の選挙事務所開きを欠席、明日の宣伝戦も中止ということになりまして、あちこちに一応の連絡、京都、明日の行動が、大きく変化を余儀なくされたというお知らせで、休む予定の「雑記」も火災でしたというお知らせだけ書くことにしました、

火災のお見舞い申し上げます。隣の人々より

1月25日(土)水平社100年史調査の繋がり

★土曜日の朝、霧も、霜もなく、冬にしては、暖かい朝、車のウインドーも凍ってもなく、曇ってもない、珍しい朝です、明日の日曜と明後日の月曜は、個の雑記はお休みさせてもらいます。

★美作水平社創立100年記念誌編纂、大詰めに来て、最後の「あがき」です、資料の添付と写真選び、フト、気が付く「書かなくてはと思える歴史」の追加記事、印刷に回す前、誤字とか、文字の大きさとか、タイトル・中見出しの書き方とか、編纂委員会で何回かの点検作業です。

★そんな調査をしたり、写真など探していますと、思わず手が止まる時があるんですね、、、アレッ、この写真は、とか、これって何だったかな、とか、いろいろと思寝いだしながらの「歴史検索」もまた、一つの楽しみですね。歴史には書かない者も当然出てきます、こんな書き物を見つけました。

1995年1月阪神淡路大震災の前後の出来事は・・

★19915年1月17日、あれから30年、フト、美作水平社100年史に「書き込むべき事柄」として、3月に「炊き出しボランティア」に、当時の、全国部落解放運動連合会津山市協議会を中心として、25人で出かけたのを思い出し、追加記事としましたが…

★その時の様子をしらべる一つの「資料」が「ご機嫌いかが」です、260号くらいから書き始め、兵庫南部大地震と名付けていますね。270号あたりまでの様子を、懐かしく見返しというところです。100号ごとに「冊子」になっていまして、「300号冊子」が、その部分にあたります。

★地方選挙の都市なんですね、3月に、ボランティアに行ってすぐ、県議選があり、日本共産党から、岡田実さんが立候補して戦っています、この後から、県議選は「見送り」ということになっていくのかもです。

★4月16日が市議選挙の告示日、久永、美見、末永の3人態勢が出来上がった選挙選でした。面白いのは「市議会に末永は絶対必要、しかし、私は、別の人を入れる、こらえてほしい」という「名言?」を紹介していますね。この開票の様子が、面白く、おかしく、書かれています。

★最後の端数整理、末永は、1300から動かない、端数だけでは「落ちるかも」というきわどさ・・・・心臓が悪くなる一場面、「おかしい」と叫んで、末永が、投票所に1来るとね事務所を飛び出して、投票所へ、、、端数整理がほぼ終わっており、50の束が「残っていた」→これが、末永の票…端数を入れて、94票、、、、党の中では、一番多く、5票差で、季長・久永・美見と並んで当選…ひやひやした開票の風景が、描かれていました、「ごきげんいかが275号」です。

★正月過ぎから、阪神アワジ大震災の直前、勝北町の買収選挙が世に出で大騒動の都市、結局、日本共産党の議員も「買収選挙」にかかわっており、除名への都市でした。

★津山の市長は、永礼市長から、中尾市長への時になりますが、永礼市長の「後釜」といわれていた有力な当時の助役、「ご機嫌いかが」を見ますと。市役所内で、毎朝のように「御前様会議」(2つの意味で言われていた・朝早いから午前、そして、親分の前だから、御前)が開かれていた様子が書かれています。西中の、石碑事件が起きて、この有力な助役さんは、力行ができず、中尾さんが市長がなるという時期です。

★ことの良し悪しはありますが、考えてみますと、こんな大物の職員は、最近は、無いですね、、すごい「権力」を役所内では持っていましたからね。こんなことを知っている職員さんは、もういなくなっているでしょうね・・私=末永とも、1つの「格式」を持っていました。

ある種の「利益誘導の政治の在り方」を指導?

★この「御前様会議」の主人公といわれていた人が、まだ、土木課長の時、私が二期目か三期目の選挙準備に入っていた時に、「末永議員、それでも、年に何回かは、私のところにあいさつに来て、道路の新設や改良、生コンの欲しい話や、砕石をばらまくことをしないと、選挙がくるしい・・・・」という意味の「ご注意」というか「ご意見・市議会議員の任務」のようなことを、諭されました。

★末永→何に、!、どういう意味ですか、そんな馬鹿なことを議員に指導し、議員を手の内に入れるというやり方が、あんたのやり方ですか、津山市の「議員懐柔方法ですか、よーわかりました、覚えておきんさい、今日限り、土木、産業ばたの窓口には、出入りしません、道路なども大事ですが、政治の大道を語って、その中で、市民の要望を市政に届ける仕事、で、議員をやり切ります件、人を、なめんといてください、二と度、土木には、顔見せません。。

との旨、タンカを切ったのを思い出しますね、、、、年月日は忘れました、生意気盛り、ばかげた議員だったんだろうなと、今でも思い出します。それから十数年、「西中石碑ものがたり」「百条調査特別委員会設置」と、秋山委員長と、弁護士と末永との間で「百条委員会の最終報告をめぐるいざこざ」と、御前様といわれた人との「責任論」などへと発展していくわけです。

★事柄が、一度に起こったような感じになりましたが、何年かの積み上げの結果論としてよんでくださいね・・・すみません。

1月24日(金)昨日は宣伝、穏やかな天気

★今朝は、霧の深い朝です、晴れるのかもしれません…・昨日は、とても、穏やかで、やや、暖かい日でした。風もなく、小春日和とは、こんな日のことを言うのかなと思ったり、でも、冬ですね寒いのは寒いです、冷たさがなかったということですね。

★午前中、さくらブロックでの街頭宣伝、衆議院選挙・3区でお世話になりました原田あき子さんも一緒に、中間地方選挙(鏡野町・真庭市・美作市・美咲町)の支援要請、して、7月の参議院選挙への日本共産党への支持の御願いをしました。

2月8日(土)午後2時30分から、末永弘之の市政報告会・大谷「中央公民館」への参加もお願いしました。

★末永弘之の市政報告会、先日の日曜日、中ブロック(久永事務所関係後援会と党支部)の新年会を兼ねた市政報告会を開催してくれましたが、これで今年になって、2つ目の市政報告会です。今回は、さくらブロック後援会が後押し、多数のみなさんのご参加をお願いしました。

★この日は、丁度、7月の参議院選挙の比例区候補の白川よう子さんが「来津予定」が入りまして、挨拶にも来ていただくことになりました。この記事をお読みのみなさん、時間がありましたら、お友達お誘いでの参加をお待ちしています。という宣伝でした。

1月宣伝

1月宣伝2

1月宣伝41月宣伝3

★中西後援会長をはじめとして合計6人による宣伝、衆議院選挙、自公連立の「過半数割れ」の政局、金権腐敗政治一掃を‥‥自民党の裏金問題をスクーフーのしんぶん赤旗の宣伝、購読の御願いなどでした。

鏡野町から始まる地方選挙、よろしく

★今、26日投開票で争われている、全国注目の倉敷市、北九州の市議選挙、3月16日が赤磐市、3月25日が鏡野町→藤田照子出馬・2期目へ、4月6日が真庭市(伊賀基之・出馬2期目へ)と美作市は本城宏道、元市議で、私と同じように勇退していましたが、復帰を目指します。8期か9期か、そして、4月8日が美崎町で、藤井ともえ出馬、3期目へ、という多くの自治体の選挙です。

★12年ぶりの参議院と同時選挙の、全国注目の東京都議会議員選挙はことし6月13日告示、22日投開票の日程で行われることになりました。東京都議会は127議席で、各会派の構成は自民党が30、都民ファーストの会が27、公明党が23、共産党が19、立憲民主党が14、ミライ会議が4、自由を守る会が2で、無所属が5、欠員が3となっています。

★この東京で、中央政界と同様の「自民党の裏金問題」が浮上、出納責任者を期って、トカゲのしっぽ切りを狙った市民党でしたが、新聞赤旗が、自民党が文章で「隠すことを指示していた」という内部通達の文章をスクープしまして、さて、どんな責任を取るのか、大いに注目されるところです。

7月が参議院選挙です、日本共産党化全国比例区の5人必勝の訴えです、よろしくお願いします。

5人そろい

中国。四国・九州、沖縄の受け持ち地域で頑張るのが、白川よう子さんと決まりました。

白川さん8

すべての人が幸せになれる社会をつくる、が、白川さんのモットーと聞いています、上の写真を大きくしてみて、文面を読んでください、この生い立ちの不幸が、彼女を政治へ志させた原点と私はおもっていますが・・・どうかな。

1月23日(木)ごきげんいかが発刊の日

末永弘之の市議会報告・ごきげんいかが1378号の発刊の日、というか、週です。15日の市議会議員会議で話し合われました、津山市議会役職構成に関する申し合わせに関しての記事が中心となっています。

この「申し合わせ」は、2009年9月1日から施行されています。とても、面白いなと思いますのは、この頃の「ごきげんいかが」を見てみますと、8月が衆議院選挙て、中林よし子さんが議席回復ならずの時、そして、津山市は、9月定例会議で「クリーンセンター騒動の議会」でした。

ゴミ最終処理場の「建設予定地」をめぐって、大揺れ

★議長は、森下議員、「ゴミ処理施設領家建設予定地の再考を求める会」の役員の人と、津山市議会が「意見交換」を8月24日に行っています。この時に、領家の人が「今のままで工事を推進するのであれば、私をダンプでひき殺してから工事に入れ」と「名言」を述べたことが「ご機嫌」に係れています。

★津山圏域資源循環施設組合準備議会」への8人の選考をめぐって、「役員選考委員会」が大いに「揺れ動く」時でもありました。市長は、桑山さんの時です。約3億2千万円で購入した土地が、9億1千万円で「建設用地として購入」という文字も踊っていますね。

★役員選考委員会は、100日戦争、5月8日から9月25日まで、大いにもめています、この時の選考委員長が、末永弘之です。そして、25日に「津山市議会ごみ処理施設ケ節に関する調査特別委員会」が組織されて、委員長に、末永弘之がなるという、波乱の津山市でした。

★「ごきげんいかが」で言いますと、990号前後から、関連記事が埋められていまして、10月22日に1000号発刊となり、11月7日に「1000号発刊記念」の祝賀会を後援会のみなさんがしてくれています。

議会構成に関する申し合わせについての論議の一コマ

★かなり見にくい写真ですが、2009年6月11日の「ごきげんいかが・982号」です。申し合わせの必要性などが論議される初めのころのありようです、衆楽座猿芝居という文字がたくさん出ています。

ごきげん1

そのころ・6月・9月議会の役員選考委員会の模様を描いた私の記録から当時の様子を抜粋してみますと、

★委員長(末永)→まず、今日の会議は、先日来少数派グループから出されている「開かれた議会とは何か、政策を研究したというがどんな政策なのか、議長が公正・中立・普遍不党でやると言うがどんな内容なのか」という意見に対しての、回答というか、見解のようなものから述べて頂きたい。

S議員→今度の議会構成を通じて、ルールが必要ということになっている。そういう話し合いの中でグループが生まれている。ルールーがないので、皆同じテーブルで話し合い、選考委員会で申し合わせをつくる方向で行きたい、政策論争の中で多い、少ないグループが出来るのは仕方がないと思う。お互いがどうするかは、選考委員会の中で話し合いたい。

K議員→佐々木さんとほぼ同じだが、私は、少数派に属していた関係もあり、騙され続けてきた、ルールはなかったが、約束が守られなかった、いろんな考えがあるなかで、今後の打開策としてルールーをつくりたい、守られるルールーでなくては意味がない。どこでルールをつくるのか、議会改革の特別委員会か、議会の申し合わせなどをつくりたい、政策論争の中で、数ができてきて、その数で決めるのは仕方がない面がある。私らの中で、ここと、ここがほしいと言う論議があったが、独占はいけないと常に言うてきた。開かれた議会、市民の目線という言葉は簡単だが、数が出来上がっていくのは仕方がないと判断する。政策については、公共事業をめぐる談合防止、入札における問題点など、そして、市政の重要課題としての「ごみ問題」のあり方などを論議してきた。

森下→議長として、当然のことであり、公正・中立でなくてはいけない特定の政党に偏らない普遍不党の立場を鮮明にしたいだけ。

私らをのけ者にして、この指たかれは、どうかと思う・・・

М議員→私は、わかっているよ、加茂の経験では、小さいグループに居ったときもあるから・・そして、多数にはいったから、わかっている。皆さんの意見を聞くと、綺麗事だけをいうている。私らを差別・区別したのか、偏見をもっているのか、いずれかだと思える。政策の論議で、私らに声もかけてくれなかったではないか、特定の人だけで集まって、私らを差別化か、区別なのか、偏見をもっているのか・・・政策集団というが、この指とまれではないのか、何があるのか・・・とても、納得のいく説明ではない、わたしは、これから、記者会見をして、河本さんや佐々木さんらのやってきたことを発表しても良いと思っている。ルールをつくろうというのは、これからのことであり、今の議会をどうするかでなくてはいけない、まだ、時間は充分にある、時間をかけて、開かれたルール作りを、今の議会からすべきである。今、やっていることをどうするかだ・・・

N議員→この議会が始まる時に、何もかも決まっているのはおかしい、会派代表者会議を開いて、ルール作りが必要という意見が出て、その意味がよくわかって来た、ルールをつくろう、どこで案をつくるか、検討したらよいと思う。

T議員→自分とこの会派は、河本さんや佐々木さんのグループが、少数会派の時は、多数の横暴だと批判してきたが、自分らが多数をにぎったら、とても、おいしい味がしたので、多数が何もかも、思うようにさせてもらいたい、多数を握ってみて、はじめて、その事を感じた、という事を生命として発表すれば、それで良しと思う。今まで自分たちが主張していたのは、間違いで、多数が思うようにすべきだというてください。。。

K議員→政策論議をしてきた、それは、二年前の森岡さんらのやり方、その後の、議員活動などをしっかりと見させてもらいました・・・その結果として、今日の事態がある、と、ハッキリといわせてもらいます・・・

★以上の、発言は、全てが正しいものではありません、私の記憶と、メモによる書きなぐりですが、その点を含んで読んでください・・・全体の感じ、ニュアンスは、大きく、変わってはないとおもいますが、関係者の皆さんには、実名入りで、失礼とおもいますが、なにせ、開かれた「議会のあり様」に関係する、大切な論議です、その点は、悪しからずご了解ください。すみませんですね、、、

★ここに書いたような、単純なことでなくて、いろんな論議をしました、各議員の話の途中で、意見が出たり、質問のようなことがあったり、色々ありましたです、が、概ねの趣旨は、こんなニュアンスでのやりとりでした。

そこで、
末永→禁足令を出して、休憩して、それぞれ別々に意見を聞きたい、11時30分に再開をするということにさせて下さい。

休憩中に、それぞれの議員を訪問し、意見を聞き、私の考えものべましたが、今議会での『ルールーを作って、それによって、今の行き詰まりを打開する』という方向がどうしても出ません、今後のルールづくりは必要ということでは、一致するのですが・・・・
そして、多数派グループは「今の議会構成は、このまま進めたい、数の多いところが決めたことで行きたい」という意向は、「そうではない、独占はしない、」と言いきります、
末永「○○委員会の委員長は、少数会にわたす、などについては、誰も聞いていないし、なによりも、そんな事を多数派グループで決めることが、多数派の横暴であり、民主主義の原則にはんするもので、民主的でも公正でも、なんでもない、」と、協調しましたが・・・
どうしても、今、行き詰まっている打開策、ということでは、「こうやろう」という意見がてでてきませんでした・・・

★以上は、議員の名まえのところ以外は、原文のコピーです、今、読み返しますと、意味不明の個所もありますが、長い時間と、いろんな意見、論議の末に「申し合わせ」が生まれたということだけはわかりますし、思い出します。

画像

1月22日(水)まずは、散歩とゴミ出しの朝です

水曜日は、我が家のゴミ出しの週が、正月のやや不規則な「ゴミ出し」から定例へ帰ってきましての定例化へです、朝の散歩、赤旗日刊紙の整理と持ち帰りが、まずの所用です。7時をすぎないと太陽は顔を見せません、そろそろ6時台には日の出かなと思いますが、なかなかですね、、今朝も冷たい感じよりも、寒いという程度の朝です<やや曇り空です。

美作水平社100年記念誌へ、新しい項目を・・

★ここに来ましても、まだ、新しい記事です、少しでも、残しておきたいの「願望・欲かな」とは思いますが、阪神淡路大震災から30年という世の動きによって、フト、気が付いた出来事、「阪神淡路の大震災」という名称がまだ゛ついていないときに、高速道が、須磨までは、津山からいけるという道路になり、地道も、何とか通れる頃に、皆で神戸に行った・・・・炊き出しで、ぼ人対アで、長田区の新しい図書館、ひんー難所で避難者の皆さんと一緒に、雑魚寝した‥‥震災への支援活動を書いておこう・・・・の思い出の記事と写真として、少し、まとめました。

震災6

このトラックいっぱいの食料品、なべ、ガスコンロ、お米、野菜は津山で刻んで、漬物もすぐ食べられるようにして、ホルモンを100人分「カンパしてくれまして、味付け直前まで焼いて、そのまんま袋に入れて持っていき、現地で、大きな鉄板2つ、キャベツ、玉ねぎ入れて、お店の「みそ味しょうゆ」もカンパしてもらい、200人近い人たちに食べてもらいました。須磨の避難所だったと記憶ですが、医科は、記録から抜粋記事です。100年記念誌には、「ごきげんいかが」の記事を中心にしてまとめました。

19915年3月・266号の「ごきげんいかが」からボランティアとカンパをお願いしています

※1995年1月17日、阪神淡路大震災、全国がアッと驚きました。全国部落解放運動(通称・全解連)へと運動団体の名称を変更し、岡山県と並んで力持ちと言われた兵庫県神戸市協議会の拠点地域である長田町一帯が、とりわけ被害が大きく大変でした。

全解連として全国的に「支援の呼びかけ」が行われ、カンパ活動や物資の支援活動などが行われました。全解連津山市協議会(豊かなまち・人つくり津山ネットワークの前組織)が呼びかけて、美作町協議会などと共同で、現地の受け入れ態勢が整3月3月16日~17日と「炊き出しボランティア活動」にも出かけました。マイクバスとトラックで25人が参加してくれました。

初日が、須磨区妙法寺川対策本部の案内で「須磨体育館」(避難者約250人)へ行きまして、夕食から炊き出しをしました。

升炊炊飯器五ケ、大ガマ1セット、焼肉用大鉄板2鉄板など準備。サラダを入れる大きな鍋は3ケ、

災害8

震災1

★「焼肉・ホルモン」→市内の有名店が、すべて寄付ということで軽く焼いて、袋に入れてくれました、それを現地で温めて、味付けして配ったということです。と「みそ汁」と「サラダ」と3皿が1人分と書いています、箸とお茶のむ紙カップもつけていますね。

須磨の避難所責任者の大西さんは「とても真面目なボランティアをしていただき感謝です」と喜びの声を上げていました。中には、多少「いい加減な炊き出しグループ」もあるとなげいていましたね。。。。どうされているでしょう、もう、お亡くなりになっているかもですね・・・かなりの恒例の人だったと思いますから…お元気でおられることを祈ります。

震災3

災害3

★翌朝は、4時30分から、朝食の準備、ご飯は炊飯器4ケ、湯通し野菜大ガマ1ケ、みそ汁用で大ガマ四ケ、当時の記録では訳二時間かけて準備、一番早い人が午前六時から来られたとあります。六時半から八時過ぎまで、訳二百人の朝食が終わったとあります。

全解連兵庫県連のみなさんの案内で、県連の事務所前でカレーとサラダ二百人分を準備し完食しています。→この地域では、全解連と解放同盟と右翼暴力団との事務所がそれぞれの拠点としてありました、カレーを取りに来られた人は、特に区別はなく、並んだ人に、亡くなるまで配ったわけです、一人、一皿と野決まりは、さて、どうだったでしょうか、・・・多少の「過ち」はあったと思います。ここでも、カレーとサラダとスプーンと紙カップを「人セット」で配りました。

昨日の市長選挙のお話続きます

昨日、近藤議員に偶然お会いしましたから、早速、「来年の市長選挙、そろそろどうするのか、結論を出したのではないのか」ということを聞きましたが、「まだです、いつ結6を出すかの時期と、それを発表する時期が、いつのタイミングが良いか思案中で、先輩(私=末永のこと)何かいい知恵はありませんか・・・」と逆に問いかけられまして、?、の思いがしました。

★ついでに、いろんなことを話しましたが、宮地前市長から、近藤さんへとつながった「選対・支援団体」としては、どうなのかという話もしました。私=末永は、宮地さん、こんどうさんと「一票は入れました」が、決して、選対に入っていたとか、事務所に座っていたとかの関係はありません、単なる応援団という程度の立場です、この点は、勘違いしないでくださいね。

★今しきりに「国政の段階」で言われます、市民と野党の共同という在り方、そのルートで言いますと、新しい候補者「探し」も含めて、近藤さんの決意も待って、検討中ということかな‥‥どこかの陣営が「正式な立候補声明」などしますと、そのころが、タイミングとしては、一番良い理科もしれない、と、言う私流の考えは述べておきましたが…。女性県会議員り話も耳にしますが、これは、無いと思います、5年、10年の単位で言うと「わからない」ですが、少なくとも、来年の2月の市長選挙は「無い」と思いますが。

三すくみとは、の解説→《「関尹子」三極から》蛇はなめくじをおそれ、なめくじは蛙 (かえる) をおそれ、蛙は蛇をおそれること。転じて、三者が互いに牽制し合って、それぞれが自由に動けない状態のことらしいですが、実態としては、どうなるんでしょうかね・・・。
保守の内輪もめというのでもなさそう、商工会議所、医師会、中政連、建設協会などなど、主な保守勢力の団体が、というか、団体の厚生委員にと言いますか、まず、下相談、挨拶、話し合い、お金の工面などなどの支援の以来、個々に立脚した「噂の人が3人」かな、そして、女性の国会議員、宮地~近藤のラインを引き継ぐ人、これで、5人ということになりますが、?、です。
とても面白いのは、反現職に対して、噂の人二人」が出たら、反現職の票が割れるから、一人に絞ったらという話が、誠氏やカニ言われ始めました‥‥この論理には「政治が無い」ですね、政治の立脚点もない」という論理です。そんなこと言いますと、現職が出る選挙では、どんな政策とか、考えとかに関係なく、二人は出てはいけないという、妙な論理になります、現職は現職、新人は新人、それぞれの政治理念と政策とで勝負なんです、あんまり、おかしな論調に流されない方が良いとは思いますが、案外、反現職の票が割れる」という考えの人は、多いようです。★この論理は、ぢがぅのです、現職にいやけがさす」とか「ついていけなくなった」とか、反ではない人、親の人でも、離れるケースもありますし、選挙は、十色、いろいろですよ。。。候補者に弱って、美鵜は変わります、動きます、反とか親とかではありません。
★宮地~近藤ラインでは、近藤さんが、もしダメならば、○○さんが、津山になじみの人、名前も売れている人、個の人に白羽の矢を充てるかの話が飛び込んできました、・・・私に相談」ではありません、あくまで、情報として、話を教えてくれるという意味ですから、誤解しないでくださいね・・・