日別アーカイブ: 2023年5月19日

5月19日(金)東京裁判物語・記事訂正の裁判

金曜日、外は小雨です、昨夜から降ったり、やんだり、今日は、津山ネットの事務整理などありまして、少しはバタバタとするのかなです、昨日は、暑い日でしたが、曇り空で「蒸せる」という感じかな、夕方少し早めに帰りまして、庭の手入れ、夏の野菜の手入れなどしまして、野菜の収穫が楽しみというところです。トマトにキュウリにナスにシシトウと「夏野菜そのまんま」という感じの小さな畑です。

6月定例会議は12日からの予定です、市議会の動きは、わたしには「理解」ができないことだらけです・・

★先日の臨時市議会の最後に、議長が、6月議会は6月12日からとよていしていますと報告がありました、それは、「そうですか」ということです、これは、特に何ということは無いのですが、私にわからないのは、正副議長の選出から、各常任委員会の正副委員長の選出、そして、特別委員会の正副委員長などの経過です。

★この結果が、「改革」なんですかね、、どなたでしたか、ある議員さんが「改革とは何か、活性化とはどんな内容なのか」と問いかけ、嘆いていましたが、「同感」ですね、、3年か4年前でしたか、あるベテラン議員(私は議員出なかったとき)が、市役所でばったりとあった時に「末さん新人類という言葉があるが、新人類のすることは、わけがわからんよ…」という意味のこと言われたのを、フト、思いだしましたね・・行政審議委員などは、まぁー、一人、一役という感じで収まればと思いますが、とてつもなく、おかしなことが多いという思いですね・・・

東京裁判物語・記事の訂正を求めましたが、(記事の訂正は)その必要がないということなんですが・・・・

★以下の文面は、私がとある方に「接待があったとは認められない」という言葉は文法的には・・・・・あるいは、法の解釈としては、「接待がなかったとも認められないと認識できるのですがいかがですか、」という意味の質問に対しての、ある弁護士からの回答だと思ってください。

★判決書の読み方として、こうした名誉毀損訴訟では、記事の内容が「真実であること」を、インターネットであれ、新聞であれ、報道機関側が立証する必要があります。報道機関側が「立証責任」を負っています。ニュースを書いた側が責任をもって立証するという意味だと思います。

★本件でいうと、「市長が高額接待を受けこと」をマスコミの側が(当方が)立証する必要があります。市長側が「高額接待を受けていないこと」を立証する必要はありません。
 こうした立証責任の分配から、裁判所は、「市長が高額接待を受けたというのが真実であると認められるか否か」という点を判断します。
 
裁判所は、「市長が高額接待を受けていないことが真実であると認められるか」については判断しません。

そこで、裁判所は、今回の判決で、あくまで扶桑社が提出した証拠だけでは、「市長が高額接待を受けたとまでは認められない」と判断したことになります。ただこれは、証言者が指摘されるとおり、「市長が高額接待を受けていない」と判断したものではありません。

 裁判所は記事について「真偽不明」と判断したに過ぎず、「嘘」と認定したわけではありません。

★要するに、裁判所は「真偽不明」と判断したに過ぎず、報道内容について、「嘘」と認定したわけではありません。こうした裁判所の判断はよくあるものです。つまり、裁判所として「記事の内容が真実だ」とまで認定してしまうと、原告=名誉を毀損されたと主張している側は、「それは認められない!」として、引くに引けなくなり、控訴する可能性が高まります。

 他方、「記事内容が真実とまでは認められないけど、取材は尽くしたから、
報道機関は名誉毀損の責任を負わない」としておけば、原告側とすれば、
「ほら見たことか、裁判所は記事内容が真実とは認めなかった。だから、記事内容は事実に反するのだ」などと喧伝して、メンツが立つため、控訴する可能性が下がります。案の定、市長は裁判所の言葉に乗っかり、
「接待の事実は認められないと認定された」として、半ば自身が勝訴したかのように述べています。 
他方、報道機関側としても、結果として勝訴であるため、控訴できません。
こうした構造から、裁判所の今回の判断には「妙味」があります。
 さらに言えば、(マスコミ・扶桑社)の主張は、あくまで高額接待の「疑惑」を報じたものでしかないというものです。しかし、裁判所は、それをあえて、本件記事は「疑惑」にとどまらず、

「市長が高額接待を受けたとの事実」を報じたものであると判断し、その上で、「取材を尽くした」として、扶桑社を完全勝訴としました。

これがもし、裁判所が「記事は疑惑を報じたに過ぎない」とした上で、
扶桑社を勝訴させていたら、市長側は、「いや、記事は疑惑を報じたのではなく、市長が高額接待を受けたとの事実を断定的に報じたものだ」として控訴していたかもしれません。ですので、裁判所の判決は、絶妙なところをついているわけです。そして、実際に市長は、裁判所の狙いどおり、控訴しませんでしたということのようで、とかく、裁判とは何が争われているのか」によって、さまざまに「変化する」ということです。再度書いておきますが、

★高級接待があったか、なかったか、真実はどっちだ、と、言うことを「裁く性質の裁判ではない」ということなんです、・・・それをね、・・・ではありませんか、ここの点が、・・・・・、が、・・・・これからも問われる」とは思いますが。どうなんでしょうかね、

昨日の続き、河辺の「山あがり」についての津山市指定史跡物語です。

★江戸時代における農地の拡張は、各藩において急務となっていました。いわゆる百姓の山あがりと呼ばれているものも、農地拡張政策の一端でありました。これは、平地にある農民の居宅を山間の台地に強制移転させ、その跡地を田畑として利用し、耕地拡張を図るもので、数戸または村落全戸を挙げて実施されました。

河辺桝形

★上の写真は、河辺に立っている「河辺上之町桝形」の解説版ですが、津山地方においても領内の数個所で実施されましたが、1664年(寛文4年)には、津山藩主森長継の発令した百姓の山あがりによって、加茂川東岸に接した平地にあった村落が、東南方向に位置するしとど原に移転させられました。

※これが現在の河辺上之町です。当時、村では日常生活や耕作に不便なばかりでなく、柴草山を失って困ることを理由に反対しましたが、許可されませんでした。ただし代償として津山城内の草刈を許されました。
現在、河辺上之町の残っている桝形(石塁)は、当時の名残りで、耕地拡張政策と同時に、また旧出雲街道に面していたことから、津山城の外郭防備のため関的役割としても利用した施政者の意図が伺われる遺跡であります。        
(案内板より)