日別アーカイブ: 2025年1月25日

1月25日(土)水平社100年史調査の繋がり

★土曜日の朝、霧も、霜もなく、冬にしては、暖かい朝、車のウインドーも凍ってもなく、曇ってもない、珍しい朝です、明日の日曜と明後日の月曜は、個の雑記はお休みさせてもらいます。

★美作水平社創立100年記念誌編纂、大詰めに来て、最後の「あがき」です、資料の添付と写真選び、フト、気が付く「書かなくてはと思える歴史」の追加記事、印刷に回す前、誤字とか、文字の大きさとか、タイトル・中見出しの書き方とか、編纂委員会で何回かの点検作業です。

★そんな調査をしたり、写真など探していますと、思わず手が止まる時があるんですね、、、アレッ、この写真は、とか、これって何だったかな、とか、いろいろと思寝いだしながらの「歴史検索」もまた、一つの楽しみですね。歴史には書かない者も当然出てきます、こんな書き物を見つけました。

1995年1月阪神淡路大震災の前後の出来事は・・

★19915年1月17日、あれから30年、フト、美作水平社100年史に「書き込むべき事柄」として、3月に「炊き出しボランティア」に、当時の、全国部落解放運動連合会津山市協議会を中心として、25人で出かけたのを思い出し、追加記事としましたが…

★その時の様子をしらべる一つの「資料」が「ご機嫌いかが」です、260号くらいから書き始め、兵庫南部大地震と名付けていますね。270号あたりまでの様子を、懐かしく見返しというところです。100号ごとに「冊子」になっていまして、「300号冊子」が、その部分にあたります。

★地方選挙の都市なんですね、3月に、ボランティアに行ってすぐ、県議選があり、日本共産党から、岡田実さんが立候補して戦っています、この後から、県議選は「見送り」ということになっていくのかもです。

★4月16日が市議選挙の告示日、久永、美見、末永の3人態勢が出来上がった選挙選でした。面白いのは「市議会に末永は絶対必要、しかし、私は、別の人を入れる、こらえてほしい」という「名言?」を紹介していますね。この開票の様子が、面白く、おかしく、書かれています。

★最後の端数整理、末永は、1300から動かない、端数だけでは「落ちるかも」というきわどさ・・・・心臓が悪くなる一場面、「おかしい」と叫んで、末永が、投票所に1来るとね事務所を飛び出して、投票所へ、、、端数整理がほぼ終わっており、50の束が「残っていた」→これが、末永の票…端数を入れて、94票、、、、党の中では、一番多く、5票差で、季長・久永・美見と並んで当選…ひやひやした開票の風景が、描かれていました、「ごきげんいかが275号」です。

★正月過ぎから、阪神アワジ大震災の直前、勝北町の買収選挙が世に出で大騒動の都市、結局、日本共産党の議員も「買収選挙」にかかわっており、除名への都市でした。

★津山の市長は、永礼市長から、中尾市長への時になりますが、永礼市長の「後釜」といわれていた有力な当時の助役、「ご機嫌いかが」を見ますと。市役所内で、毎朝のように「御前様会議」(2つの意味で言われていた・朝早いから午前、そして、親分の前だから、御前)が開かれていた様子が書かれています。西中の、石碑事件が起きて、この有力な助役さんは、力行ができず、中尾さんが市長がなるという時期です。

★ことの良し悪しはありますが、考えてみますと、こんな大物の職員は、最近は、無いですね、、すごい「権力」を役所内では持っていましたからね。こんなことを知っている職員さんは、もういなくなっているでしょうね・・私=末永とも、1つの「格式」を持っていました。

ある種の「利益誘導の政治の在り方」を指導?

★この「御前様会議」の主人公といわれていた人が、まだ、土木課長の時、私が二期目か三期目の選挙準備に入っていた時に、「末永議員、それでも、年に何回かは、私のところにあいさつに来て、道路の新設や改良、生コンの欲しい話や、砕石をばらまくことをしないと、選挙がくるしい・・・・」という意味の「ご注意」というか「ご意見・市議会議員の任務」のようなことを、諭されました。

★末永→何に、!、どういう意味ですか、そんな馬鹿なことを議員に指導し、議員を手の内に入れるというやり方が、あんたのやり方ですか、津山市の「議員懐柔方法ですか、よーわかりました、覚えておきんさい、今日限り、土木、産業ばたの窓口には、出入りしません、道路なども大事ですが、政治の大道を語って、その中で、市民の要望を市政に届ける仕事、で、議員をやり切ります件、人を、なめんといてください、二と度、土木には、顔見せません。。

との旨、タンカを切ったのを思い出しますね、、、、年月日は忘れました、生意気盛り、ばかげた議員だったんだろうなと、今でも思い出します。それから十数年、「西中石碑ものがたり」「百条調査特別委員会設置」と、秋山委員長と、弁護士と末永との間で「百条委員会の最終報告をめぐるいざこざ」と、御前様といわれた人との「責任論」などへと発展していくわけです。

★事柄が、一度に起こったような感じになりましたが、何年かの積み上げの結果論としてよんでくださいね・・・すみません。