月別アーカイブ: 7月 2023

7月31日(月)月末の月曜日・津山市民平和祭りです

★珍しい現象で、月曜日が月末になっています、やや、曇りの朝ですが、今日から、津山市民平和祭りです、朝8時半に市役所ロビーに集合しまして、平和のための戦争展・パネル展示の準備です。今年は、新しい巣パネルも沢山用意されるはずです、津山市民平和祭実行委員会(委員長・木原 賢二 被爆二世の会会長)が津山市の「平和行政の一環」として行うもので、31日から8月4日まで「市役所一階ロビー」をお借りしての展示です。

★オープニング式、開会あいさつなどに続いて、テープカットなどを、実行委員長・市長・教育長・市議会議長などで行いまして、そのあと、実行委員会と市長らとの「平和懇談会」です。被爆者の会・原水協・原水禁などの慣例する団体が一堂に会しましての「平和懇談会」は珍しいと言われていまして、これからも継続して取り組みたいものです。

今年の夏の「平和・核兵器廃絶」の活動予定

★7月31日(月)~8月4日(金)まで、市役所ロビーでパネル展    ★8月 5日(金)~8月6日(日)まで、図書館前でパネル展      ★8月 5日(金)13時 津山市民平和祭 映画会 「かんからさんしん」    ペンタホールにて、 無料。                      ★8月 6日(日)ヒロシマの日・8時~8時30分 文化センター下交差点   原水爆禁止スタンディング                        ★8月18日(金)吉井川河川敷で「平和の灯」です。午後5時に「さくら会館」に集合ください、準備と、暗くなってから片付けが必要です。原水協に加盟団体の人、団体から少なくとも二人程度はご参加ください。

8月6日に、原水爆禁止世界大会ヒロシマ集会が、8月9日を中心として、原水爆禁止世界大会・ナガサキ集会(本大会)が開催されます。これが、一連の暑い夏の塀を・原水爆禁止の行動予定です。

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7月29日(土)暑い日が続きます

★とても暑い日が続きます、昨日は、金曜日のほぼ恒例の動き、さくら会館から、5時前後に出で、日曜版配達しながら帰宅のコースなんですが、5時前頃から、雨、しかも、かなり強い、大粒の雨、しかたなく、配達をあきらめて帰宅、今朝、少し、早めに起きて、やや、涼しさの中配達終えましたという次第です。あつくなりそうですね・・・

個個数日は、毎日暑いです、役所に行きましても、車から降りて、議会事務局に行ったり、さくら会館の駐車場から国道を横断して、さくら会館の二階に上がるだけでも、「汗びっしょり」でした。

さくら会館1階は改造工事中です

★かっての「のんびりカフェ」コーヒー店、うどんや、野菜売り場などに使用していましたが、その後、中華そば屋さん・カレーもありの「ノンビリひろ」になりましたが、改造で「お休み」となっていましたが、ここに来まして、七月の工事」が行われていまして、バタバタとしていますが、「焼肉店」に代わります、お昼は「中華そば」もするとか言われていますが、私には子細はわかりません、単に部屋を貸した主という立場だけですね・・

★とは、言いましても、焼肉屋さんが改訂しましたら、よろしくお願いしますね。お盆過ぎかな、九月ころからかなという感触の工事の進め具合です。

太陽光発電事業に関する申し入れについて

7月27日(木)に、総務文教委員会で「田邑・一宮地域に建設中の太陽光発電建設工事現場」の視察に行きまして、その時に「質問した案件」について、改めて「文章にして提出」となりました件、昨日、もう一度資料などを観まして、思い出しも含めて、文章の整理への日です。

★現地視察は、岡山ソーラ合同事務所を出まして、先日もお邪魔しました、榎の地域を最北部、まさに、先日私が走った「なじみの道」を通りまして、「北酪が牧草を植えて、牛を話していた場所榎地区のA工区と称しているようです、北部分の全体を見渡す感じで説明を受けました。

★少し小高い所に移動しまして、太陽パネルを配置というか、設置している現場を見まして、ここですね、私の勝手知っている地形、谷もありました、この谷を「どのような安全対策を講じて埋め立てたのか」が、質問の一つですね、、議員皆に「ここ掘れワンワンというかもしれません」等冗談を言いながら、別の場所へ移転でした。

★そして、5号調節池へ、調整池でなくて「調節池」と称しました。7号の調節池も見ましたが、さてさて、調節とは何でしょうかね。

調整池とは?

調整池とは【ちょうせいいけ・ちょうせいち】と読み、
集中豪雨等の大雨が降った際、雨水を一時的に貯め、
河川への雨水の流出を抑制する施設です。

※同じ雨水を溜めておく池として調節池【ちょうせついけ・ちょうせつち】というものもありますが用途は同じです。
土地の開発者が住宅地等を開発する際に設置する施設が調整池で、河川管理者が設置し主に川の脇付近に造られる池が調節池です

調整池・調節池は開発で森林田畑が失われたり、道路の舗装や建物・家屋の連担により地中の保水機能が低下したことで河川に雨水が一気に流れ込むことで起きる洪水に備える施設です。
調整池・調節池に貯められた雨水は調整されながら河川に徐々に流れる為河川へ流出する水量を調整できる仕組みです。

とありましたが、わかるようで、わからない呼び方の違い、ですね。一つか2つ、新しい質問もあるかなです。

7月28日(金)昨日の太陽光発電建設現場

暑いです、今日も暑くなりそうです、朝から太陽が輝いていますから‥‥日も、暑い、暑いでしたが、午前中の田邑・一宮地域の「太陽光発電事業建設番場」の視察は、説明を受ける地点地点で車から降りて、少しは徒歩もありましたが、基本は車で移動(市議会の車です、業者の車ではありませんからね)ということで、やや、暑さと疲れからは解放されまして、ありがとうございましたです。

★午前9時45分前に市役所を出発しまして、途中一宮で、議長を車に同乗してもらい(議長は総務文教いいんですから、ここは、委員という立場ですが・・)現地事務所に10時2到着、事務所の一室で、事前にお願いしていました資料を頂き、資料も含めて質問項目に解説などしてもらいまして、幾つかの質問でした。

★安全な工事という点で、「谷を埋めた地点、昔、私=末永が待った毛などを引いたところ、歩いたところなどは、高い山を削って、低いところを埋めていると思うが、谷の底付近、埋めた地点にあった、大木、木々は、切り倒して、木の株(根っこ)は掘り起こして、どこかに捨てたと思いますが、切り倒す前の写真(施工前写真)、倒している写真(施工中の写真)、そして、高いところから土砂をもってきて埋めた写真(施工後写真)のようなものがありますか、本当に「気の株は掘り起こして移動させた証しになるものを示してほしい、雨が降った時の雨量計算とか、それに見合うだけの池を作ったとかは、わかりますが、土地を均した須賀田、安全な太陽光のパネルを敷く土地造成の在り方がしりたい」という意味のことをもうしました・・・・

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写真は、別の地域の太陽建設です。下の二枚の写真のような感じでしたねです

★が、要領を得なかったのか、説明がうまくいかなかったのかはふめいですがね「後で、文章にして質問などしていただけますか」となりまして、後で委員会の名で文章を出しますから、と、言うことにしました。

★そして、写真などとるな、とか、言われて、そんなことはおかしいと私たちの意見を述べて、平行線のままだが゛、やはり、写真はだめか」とききまして、「ダメ」ということで「納得はしない、後日に意見は述べるが、今日は、とらないでおきます」と断言して、現地視察に入りましたです。

★9月5日でしたか、それまでに仕上げると、現場は、急ピッチで工事中、すでにパネルを張っているところ、造成中のところ、いろいろでしたが、大きくて、広くて、大変な感じでしたね・・後日に「ゆだねた話」もあり、現場と議員というか、市民の目線での課題整理はこれからですね。

昨日は、結果として、1日中「太陽光関係」の活動日

★役所に帰ったのが12時30分頃で、昼食をとりまして、休む間もなく、太陽光建設問題に関係する人たち、を足しを入れて4人で1時半から話し合い、愛和荘問題も、共通の話題でしたから、最近の様子など意見交換しまして、3時から、5時過ぎまで、「太陽光発電工事の疑惑を解明する会」(前市長/宮地昭範会長)の事務局話し合い、子連ら運動の在り方とか、市民へのお知らせの在り方とかを熱心に話し合いました、近藤裁判を勝利する会の活動についても、市民が第一を中心として我々も応援することなどが方向付けられました。ということで、まさに、太陽光詰めの1日の暮らしでした。

アサイド

7月27日(木)熱くなりそうですが「山歩き」です ★前々から田邑・一宮地域の太陽光発電事業建設現場の視察を予定していました、住民として視察のお願いは別件で、1年以上も「お断り」の連続ですが、たまたま、議員に返り咲きがなり … 続きを読む

7月26日(水)幾つかの会議の連続の日

★昨日は夕方というか、六時前頃から、雷雨、かなり降った感じでしたが、今朝は、蒸せますね、、、雨でしたから、朝だけでも少しは涼しくなるかなと思ったのですがそうでもありませんね・・・・・、昨日の津山圏域資源循環施設組合議会、議長には、津山市議会から、金田 稔久 議員が、副議長には、勝央町の岡 立 議員がなりまして、議会選出の監査委員には、美咲町の則吉  洋介議員がなりました。一定の規則の中で、広域組合の役は決められていくということもあり、すべての人事案件には賛成しました。

これからの議会運営の在り方については一言お願いでした

新しいクリーンセンターなんですが、可燃物の量が多い、減への努力は多々あるようですが、他の施設に「お金を出してやかせてもらう」という措置をとっています、何で、の疑問、かって、私が議員だった2010年6月のことですが、当時のごきげんいかがですか」の記事、

【新クリーンセンターではプラ・革製品などを燃やすことを思考している】という小見出しの記事が踊っています。今まで分別していたものを、今度は「可燃物へ」とむすんでいますから、?、ですよ、この方法に、可燃物が増えた原因の一つがある、と、すれば、原因も、財政負担も、一考が必要ではないかな・・

★こんなことを質問するとしたら、今臨時議会の組み立て、全員協議会が30分で、本会議か30分で行うという「予定の運営は、やめてほしい、津山市議会の運用規定に準ずる」のが決まりとすれば、私の質問時間だけで30分必要だと思う、事前に申し上げておきます、そうしないと、定例本会議になってから、時間が足らない、お昼だ、などと言われたら、質問がやりにくい、そんなことにならないように、事前にしっ切りと時間配分をしてほしい」…こんなお願いをしておきました。

1日に4件の議会での会議・研修会ですが

★今日は、議会関係の会議御多しです、全てに出席は出来ない感じですが、まず、10時からは「津山市議会活性化調査特別委員会」です、そして、11時からは、「予算の見方などの議員研修会」です、希望者だけですが、田に用事もありです、午後は、1時30分からは、「久米レインボープール」についての勉強会です、基本構成は出来上がっており、建て替え、公認プールへの組み立て、などが検討されているとかの話、さてさて、どうなりますか、20億円とかの工事になるとか言われますが、動なんでしょうかね、、

★最後は、市議会会派代表者会議、私は、1人会派で「無所属」と言われます、採決県はもとより発言の自由もありません、最後の最後、その他、何かありましたら野項目で、一言言わさせてもらえるという程度です、課題ごとには、発言はさせてくれませんね・・・変な気持ちでの参加は、いかがなものかですよね・・

明日は、太陽発電工事現場の委員会視察の日ですが、どうなりますかね・・・視察したら、現地見たら「ジエンド」ではないよな。。

7月25日(火)資源循環施設組合議会・臨時会の日です

★今日は、津山資源循環施設組合議会・臨時会の日です、津山市・勝央町・奈義町・鏡野町・美咲町で組織しています、「新クリーンセンター」の運営管理する広域組合、其の議会ということです。改選後初議会、津山市議会から、金田・近藤・勝浦・末永の4人が選ばれていますから、組合の規約のようなもので、「議長は津山市から」と定められていますから、4人で相談して議長を作ることになると思います。

★いろんなことがあった「新クリーンセンター建設の経過」です、今の領家地域に決まるまでに、数地域を4対候補地として発表しましたが、其の反対の声つよし」で実現に至らず、1地区を除いて、反対運動の先頭に立たされけてきました、そして、後、1地区は私が関係者と相談して、予定地に名乗り出た地域」もありました。

領家地域への決定も、前々市長の無茶なやり方で、再考を求める会が組織され、私が相談役へ、様々な経過でした

何々が起こったのか、桑山さんという市長の時代です、公募ということで「予定地選考」に入りましたが、予定地の条件として、地元町内会の名前で新星」と決められていたのが、久米連合町内会の名前」という、完全に「ボタンノかけ違い」を無視して、「領家が最高点」と小細工を働いた桑山市長の技、何があったか、桑山さんが市長選で負けて、二年「裁判を起こした」を毛ですが、裁判所の土地鑑定額は、「約7200万円」でしたが、実際の購入価格は、「4億5千万円近い額」で桑山さんが、市長選挙一週間前に「会逃げ」した土地でした。その礼金は、いかほどと、当時、噂されたものです。

★建設予定地に「大量の産業廃棄物が埋められたと田である」と、地元の人が告発、私がなかにはいり「現地の掘り起こし」を命じて、地権者の負担で、掘り起こし作業が、役、一か月、すごい量の「産廃」が出てきました。ヒ素・鉛も、検出されました‥‥そんな土地を、「産廃ではない、遺物だ」と称して、購入したわけです。無茶な人でした、結論としては、宮地市長誕生への秘話物語ですよね。

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★これらの写真は、2008年10月24日から産廃の掘り起こした現物」のものです、100枚以上の写真があります、毎日、掘り起こしの現場で写真撮りましたです…1か月以上かけて、産廃を全部掘り出して、処分はしましたが、桑山さんは「産廃ではない、遺物に過ぎない」と、言い続けました、…さらに、ヒ素か、鉛でしたか、検出もされ、専門官の意見をいれた「中和剤処理」を、宮地市長になってから行いしまた。専門官は、京都大学の環境学者・その後、熊本大学へ転勤されましたが・・私の知人でもありました。

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★ひどかった、桑山市政の在り方、宮地さんに代わって、かなり前進した新クリーンセンター問題、桑山さんが二期目の市長に当選していたら、たぶん、領家では建設が困難、できなかった可能性ありなんですよね。。。いろんな思いがあります、当時は、組合議員は八人、町が二人づづでてぃまたね。合理化で半数になったということでしょうかね。

7月24日(月)土曜日の津山市民平和集会と行進

今日は、24日の月曜日ですが、一昨日になりますね、22日(土)は、津山市民平和集会と平和行進でした、参加者50人弱、まさに、暑い夏、猛暑の中元気に集会、そして、行進でした。

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★平和行進は、私が音頭取り、暑い日でしたが、汗だしながら、先頭を歩きまして、スプレヒコールの音頭も取りましたです。

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今年は、原爆慰霊碑への祈願、参加者が少なくて4人でした、きれいに火の回りを掃除、花立を洗いましてきれいな花を活けて合掌し平和を誓って帰途につきました。★

昨日、7月23日は「私の誕生日」でした、なぜか、三回のというか、誕生日が3つなんですが・・・今の戸籍です

★80年前の昭和18年です、まだ、戦争中ということなんですよね、、2歳で「周旋」ということになりますが、6月8日と聞いていますが、私が、川元弘之としてこの世に誕生しましたそうです、当時、戦争というあわただしさもあったと思いますが、親父が5月に亡くなり、すぐ、私が生まれるということでばたばたとしていたのでしょう、誕生の届け出を、8月10日に、当時の岡山県勝田郡河辺村の役場に届け出したと聞きます。生年月日は、8月10日になりました。

小学校の5年かな、6年かな「河辺村が津山市に合併」しました、生年月日は8月10日のまま、津山市民になっています、当たり前なんですが、結婚まで行きます、最初の免許証は、川元弘之で昭和18年8月10日が生年月日のままでした。わけありまして、結婚のときに、末永の性へ、実の母親の弟、末永泉の養子へ、妻と結婚届と合わせての戸籍の変更でした。

★この時に、異変が起こりました、何と、昭和18年7月23日が生年月日だと大原町(母が末永から川元に嫁いだ地域が大原町でした・当時は、大原町が本籍地だったんだとおもいますが・・・)から連絡が来まして、?、何っと、思いまして、卒業証書も、免許証も、何にも、8月10日だよ、と、言い張りましたが、そこは「変えないまま」に「夫婦の新戸籍」が、        ※末永弘之、昭和18年7月23日へと生まれました。          ※川元弘之、昭和18年8月10日だったわけですから、

※まるで、別人になったような妙な感覚が「今でも実感としてある」んですよね、免許証は、次の書き換えで7月23日になりましたが、考えてみますと、「変わった人」なのかもしれませんねです。

7月22日(土)津山市民平和集会と平和行進の日です

★少し涼しさもある朝ですが、暑くなりそうです、曇り気味かも、今日は、国民平和行進・岡山県コース、美作地域「網の目行進」の最終日で、津山市民平和集会と平和行進の日です。あまり暑くない方がありがたいですね、26日まで岡山県内を行進して、27日に広島県へ引き継ぎまして、8月6日に「平和公園」に到着します。

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★午前10時から、吉井川河川敷き公園を借りて集会を行い、そのあと、市中を平和行進して、最後、団体代表によって、神楽尾にあります、「原爆慰霊碑」へお参り、お花をささげます。

広島原爆の日を迎える6日は、津山市総社の神楽尾公園の「平和祈念 原爆慰霊碑」前で、岡山県原爆被爆者会津山支部が祈念式を行い、犠牲者の冥福(めいふく)と恒久平和を祈っています。美作地域では、広島部隊に配属された隊員ら約千人が被爆し、犠牲となった。同市では被爆者の遺族らが中心となり、昭和55年に同慰霊碑を建立。被爆で亡くなった約350人の名簿などを納めている。碑の傍には、被爆した広島庁舎の敷石が「被爆の石」としておかれ、「原爆慰霊樹」としてイチョウの木が植樹されている。

これも、津山市民平和祭実行委員会が出来て、津山市民平和祭などの「平和行政」が始まり、其の一つの影響の中で建てられたものです。

徒然なるままに、その日暮らし | SSブログ

7月21日(金)ややのんびりの金曜日ですが

金曜日の朝、朝から好天気、梅雨明けもあったようで、ここ数日は暑いです、今朝は少し、ゆっくり目の朝、定められた会議のない日です、のんびりしたいなの心根です。5月臨時会と6月臨時会の書類整理、議長と議会運営委員長への「公開質問状」と「それへの回答」の整理、文字通りの公開への文章整理、少し時間がかかるかなです。来週は、総務文教委員会の視察とか勉強会など、市議会活性化調査特別委員会に、資源循環施設組合議会もあり、それなりにバタバタとするのかもしれませんね。

ならぬものは、ならぬ・疑惑があれば晴らす、市民運動団体が、新たな活動への出発のようです

★11日(火)に約60人程度集まりまして組織されました。       名称→「津山市田邑・一宮地域に建設中の「太陽光発電建設に係る疑惑解明を求める市民の会」、                          ※(事務所) 本会の事務所は津山市横山382に置く           ※(目的) 本会は、透明な津山市政運営を通じて、明るい明日の津山づくりをめざすために、津山市田邑・一宮地域に建設中の「太陽光発電建設に係る疑惑解明を求める」活動及び「疑惑解明」の運動にかかわる訴訟が提起された場合は、その訴訟の支援し裁判の勝利のために活動する。

★そして、代表者 宮地 昭範 による会が「相談」をまして、「会を立ち上げただけではことはおさまらない」ということで、具体的に、市とか、議会とか、現地工事現場の課題などを、調査・検討して、足を出そうということになりました。

いったい、会として「何ができるのか」ですが、ともかく「市政をめぐって、疑惑が提起された」わけですから、「ならぬものはならぬ」の立場で、疑惑を解明する、晴らす、それに必要な行動を強めようということです。市長や議会に物申すことは物申す、そして、太陽光発電工事をしている現場の様子、安心・安全な工事なのかどうか、も、関係者に問いただす、市の土地ですから、安全な工事ができているのかどうかを調査する、などです。近く、事務局で集まりまして、具体的な行動をとるという予定が組まれました。

来週の27日(木)は、市議会総務文教委員会(委員長・金田議員)が現地視察を行いますが、対応は大丈夫かな

★2回雨で流れた議会の視察ですが、27日(木)の午前中に現地に行きます、以前にも書きましたが、「かって私が知っている山と谷」ですが、高いところを低いところへ土砂を動かして、いわば「たいら」のように「ならす」わけです、低い土地にあった「木々」の株などはどんな状態で土砂を埋めたのか、そして、はげ山の土砂が雨で流れ出る、災害にならないのか、大雨対策は「大丈夫か」などです。とりわけ、下記の数点など、事前に「資料」の提出をお願いしているのですが、用意はしているのかな・            

※低い土地を埋めたり、高い土地を削ったりしていると思いますが、県の「林地開発」の規定の工事が行われたという証のような公示前・工事施行中、工事後、の図面、写真などを一定示してください。

 ※災害が起こった時に、財産区や市に費用負担がかからないようにした「契約書」を示してください。(議員にコピーして渡す)

 ※災害に関して、起こる可能性のある災害について雨量計算など、法令上の審査基準を満たした審査・検査結果の内容と、安全を担保した書類を明らかにしてください。

 ※想定をこえた大規模災害が起こった時の業者の責任などを明らかにした契約書を明らかにしてください。かりに「してない」とすればその対策を明らかにしてください。

シァープの人は、「現地を見せたら終わり」と思っているのではないでしょうね、、安心・安全な工事施工の在り方を立証する必要な書類、契約書など提示して説明はしてくれるのでしょうね・・・見るだけだ、見せるだけ、写真は撮るな、ブログには書くな、だけ、と思っているのではないでしょうね、重ねて書いておきますから、議会活動の自由は止められないよ、よろしくです。

 

7月20日(木)美作水平社100年記念史誌づくりへ

★昨日は、朝から雨、降ったりやんだりの天気でした、今日はどうでしょうかね、朝はよく晴れています、日本晴れという感じてす、空に雲はありませんね・・・。

先日と言いましても、8日でしたから、早いもので2週間にもなりますか、美作水平社創立100年記念式典、水平社の運動の歴史、流れをくむ同和・部落・人権」を冠とした市民運動を「終結する」決意を固めた日から、残された仕事と言いますか、役割である、100年記念史誌編纂へいよいよ最後のお鋳込みです。

年表史と活動遍歴の編纂へ

★100年という歴史刻み、昨年は「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と、京都岡崎公会堂で、全国水平社が創立されて「100年」という大きな「節目」を迎えました。さらに、1923(大正12)年5月10日 岡山県水平社創立 岡山市 商品陳列会館で行われ

1923(大正12)年7月5日 美作水平社が、当時の津山町 鶴山会館で創立されました。

こうした設立の様子や、多少の前後の経過などは当然記述し、私たちは、水平社運動から、部落解放委員会、部落解放同盟、解放同盟正常化連絡会議、全国部落解放運動連合会、そして、人権連、豊かなまち・人つくり津山ネットワーク(通称・津山ネットと称する)へと運動の継承を行ってきた歴史などは、1993年7月4日に「美作水平社創立70年記念誌」を作成していますが、その後の「運動史誌の編纂・作成」を行い、との願いです。

★昨日も、原水爆禁止運動の自治体あいさつ回りを終えてから、資料アサリ、案外最近のごきげんいかがの冊子を観れば、かなり「分かる」ということで、Kさんが、丁寧に「ごきげんいかが」を洗い出ししてみると大役を勝ってくれまして、大助かりというところです。

★本音シンポジウムの歴史、31回で「最後」になっています、この時は、東北大震災の後、ごみ最終処分場建設をめぐる様々な動きがあった時など、幾つかのことが重なっている感じです。こうしたことを、一つ一つ、ひも解くという「懐かしさ」がありますね、

そして、何があったのかを「思い出の記」として綴りたいと思っています、あまり特別措置法の下での「施策の在り方」などを残しておきたいの願い、中小企業経営相談員とは、営農相談員とは、就職あっせんかと言われた職業相談員とは」など、ほとんど、其の活動ぶりもさることながら、そんな人的配置施策があった事すら、知らない人が多い、何をしてきたのか、単に、年月日の歴史、何月何日に何があったのか、だけではない物語です、そんな記念史誌づくりへです。。。。

昨日は、原爆許すなと、自治体回り

★朝早くから、下野理事長と待ち合わせをしまして、久米南町、美咲町、鏡野町、津山市へと原爆許すな」の訴えと、首長、教育長、議長の「3人の平和祈願ともいうべきペナント」を集めたり、核兵器禁止への署名を御願いしたりの「あいさつ回り」でした。

久米南町

まず、久米南町へです、正広議員の案内で訪問、3人の名前入りのペナントを預かり飲まして、署名もいただきまして、8月9日のナガサキ本大会への持参など話し合いました。そして

美咲町

美咲町へ、藤井議員のご案内と、年金者組合の杭田会長などの案内で、青野町長、議長、教育長が自ら立ち会ってくださって、ペナントを受け取りまして、平和への思い補話し合いました。そして、

鏡野町

鏡野町へ、ここでも、山崎町長が、そして、議長と教育長が直接話し合いに応じていただき、ペナントなどもいただきました。山崎町長とは、久しぶりの面談、議員に復帰してからは初めて、また、資源循環施設組合議会で‥よろしくの挨拶、「いやいや、末永さんのおかげて、出来上がった処理施設ですからね・・・」とか「色々ですね」とか、懐かしい話多しです。そして、最後は、津山市へです、

津山市

新日本婦人の会の長尾さん、津山民商の西田さん、共産党の山本さんが同席、当局は、人権啓発関係、教育関係、議会事務局関係の人が参加、22日の津山市民平和集会と平和行進への参加もお願いして3回となりました。