★昨日は、津山市民平和祭実行委員会がありまして、津山市に「非核平和都市宣言を進める津山市民の会」(市民の会)から「津山市に平和都市宣言を求める会」(求める会)と、事務局のバドンが渡されました。30数年前、私が市議会の議長だった時に、全国的に各自治体が「核兵器廃止を目的に都市宣言」を行う、と、云うのが一つの「はやり」のようになっていました。1985年でしたか、昭和40年3月議会で、日本共産党に籍を置く私が妙なことで市議会議長となり、その余波で「津山市非核兵器都市宣言」が生まれました、この宣言は、昭和40年6月19日に市議会で議決されています。
★全国的に平和都市宣言をしてもらうという流れ、津山市でも市民運動が大きくなり、幾つかの「平和を求める団体」が市議会に請願・陳情を提出したということです。それらを「まとめた宣言文」づくりは苦労した記憶があります。当時は、5団体であり、その5つの団体が、事務局をもちまわりで「津山市民平和祭」が行われてきました。実行委員長は、被爆者団体が概ね務めてきましたが、途中、2年か3年は「求める会」から、Sさんが実行委員長となった時もありますが、今は、被爆二世の会の木原賢二さんが実行委員長をつとめています。そして、事務局は、「市民の会」と「求める会」が1年交代で務めるようになっています。今年は、「求める会」が事務局となります、1年間の市民平和祭の具体的な実務をつかさどるということになるわけです、美作原水協・津山平和委員会などがその中心的な団体ということになります。よろしくお願いします。