日別アーカイブ: 2023年3月17日

3月17日(金)おかしなことですよ、何でだ∝

太陽光建設現場の視察、なぜ、駄目なのか

★今日は、日本共産党市議団事務局として、田邑・一宮地域で建設中の「太陽光建設工事に伴ったの安全性」の確認で、現地を案内してもらい、「はげ山」になっている現状について、水害や土石流防止の工事がどの程度できているのかを見る予定でしたが、内部を案内することは、他の現場で多少の事故(ものが紛失したとか・・・・)があり、お断りすることになった、本部からの指示です」というてきまして、仕方なく内部がみえない」ということになりましたです、至極残念というところ・・

あの「はげ山」になった姿、本当に、ゲリラ雨、鉄砲水の時、大丈夫なのか、不安を解くべきなのに・・、

★現地は見せない、とは、・・・・・もっとも、私としては、「わかりました」という返事はしませんでした、「連絡があったことはきいた」という程度で、「とてもよろしい」ということにはならない、また、連絡しますから…と、言う意味のことを述べておきましたが、ははげ山になった姿を見て、とても不安・ゲリラと言われる大雨の時にどうなるのか、鉄砲水ともいう大雨の時、羽毛田山の土砂は、どうなんだ・・・など地元の人が思うのは「当たり前」の事であり、その安全な工事の在り方を見せてほしい、図面をいただきたい、という市民の要望が「無視される」ということがあっていいものかです・・・

★私的な要望では、現地の見学は出来ないということなら、さてさて、どうするか、それなりに「やるべきこと」を考えていかなくてはというところですね。なんで、一度許した「現地視察」をことわってきたのか・・・別の所で「県間゛を許して、製品が無くなったから…」とは、まるで「私が泥棒でもしたら困るから…」と言われた感じで、不愉快そのものではありますし・・・・そんなのが「あり気」の太陽光建設現場なのか‥‥私らに見せたら困ることでもあるのかもしれないと思え始めたが‥‥。

昨日は、久しぶり、「6・9行動」でした

第518回目の「6・9行動」へ参加しました、午後5時から、津山郵便局前の商店街通りです、9人が参加しました。美作原水協が行うものですが、月に一回、6の日=ヒロシマへ原爆投下された日、9の日=ナガサキに原爆が投下された日、にちなんで「核兵器廃絶」の願いを求める「何らかの行動をする日、と定められた世界的な「平和行動」です、月に一回ですから、年に12回になります、40年数年前からということになりますね、、、大林秀弥先生(作陽音楽大学名誉教授・日本共産党後援会会長)との出会いの活動でしたね、先生台風ですが、きょうは「止めますか」とといかけましたら「ぼく一人でもやるから・・・」と言われ、慌てて駆け出したことも思い出されます、懐かしい姿です。

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ドーム

上の写真は、広島の原爆ドームです、下の写真は、第441回目のときの「6・9行動」のものです、多少、私も「若い感じ」の時のものですね…こうした活動などは、さて、美作水平社100年記念史誌へ載せるべきか、直接関係なしとみて載せないか、大いに「迷う」ところですね・・

★ここから下の写真は、昨日の様子です。訴える、井之上医療生協理事長です。

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ある老人福祉施設の「報告書」の紹介ですが…

★基本的には歩行ができないで、車いすにて移動する高齢者ですね、時には「伝えあるき」はしているようです。1月1日の事故ですから、先日・3月14日の「雑記」に書き込んだ「経過記録」の時の「事故報告書」ということになりますね。

3月17日

13時40分に、看護職員が休憩を終え、2階に上がると216号室前の廊下にて、右側を下にして倒れているのを発見。車いすが近くに倒れていたことから、車いすから立ち上がろうとしてバランスを崩して転倒したと思われる。というように書き込まれています。

経過記録には、「廊下で転倒していた」とだけ書かれていたわけですが、多少、経過の仔細が書き込まれています。その後、手術の経過も事故報告書らし事故の原因が「くかかれています、が、1月4日に手術をして、抜粋まで2週間の予定、手術から1週間後に「病院に行き様子」を聞いているが、家族との連絡など仔細が書かれていない、損害補償については「未交渉」にチェックを入れている。

事故の原因としては、「本人の、帰宅願望などの精神的亜安定に、その都度対応していたが、しきれなかったことる」と断じています。さてさて、精神的な不安定、帰りたい、帰れない…・それと、転倒がどう結びつくのか、・・・精神的なことがぶつりてきなことへ「影響はゼロ」ではないが、こんな時に、精神論だけ」で断じていいものかどうか、大いなる儀も間で゛はあります。