あの大震災・原発事故から12年になりますが・・・
★土曜日の朝、少し曇り気味の感じ、雨になるようにもないですが、だいぶ温かくもなりました‥‥東日本大震災、本当は、「原発被災の日」と言いたいところ、あれから12年ですね、岩手県宮古市の党組織と交流ができまして、末永事務所を中心として、支援物資などを数年間送りまして、今回、12年という歳月の流れ、色々と思い出します、
★上の写真は、2012年の春頃かな、?、末永事務所での「宮古地域」への支援物資を送った時、荷造りが終わっての記念写真です。月に一回何年も繰り返してきました‥‥、毎回、人の入れ替えはありますが、おおむね、この程度の人は集まっていましたね・・・いつも来てくれる地域の人が数人…いろんな皆さんに大変お世話になりました。
http://s.tuyama.org/?m=201304で一度検索してみてください、ある時の様子を写真で紹介しています。
★下の写真は、2013年8月27日と思いますが、10年前になるわけですが、日本共産党美作地域の儀委゛ン弾で、東日本被災地の視察、宮古市議会の玄関の写真です。美作市・本城市議、和気町・西中議員、津山市・久永議員、今は亡き鏡野町・藤田議員です、そして、前の二人、私と宮古市の党議員団団長の田中さんです。
★下の写真は、宮古の支援物資を沢山積んでいる「民家」に宿泊施設のようになっていまして、自炊ですが、そこに一泊して、津山からお米・野菜・衣服」などを宮古市の支援物資隊の人が「袋詰め」にしてくれていまして、50戸程度の「被災住宅」で暮らしておられる「主に独り住まい」の人を訪問し、対話をして、物資を届ける活動を行って帰りました、その時の様子です。
★荒地の家族、第168回芥川賞受賞作! あの災厄から十年余り、男はその地を彷徨いつづけた。 元の生活に戻りたいと人が言う時の「元」とはいつの時点か――。40歳の植木職人・坂井祐治 …の物語を読みまして、彦さしぶりに「宮古へ思い」をはせました。
A老人福祉施設の介護経過記録から紹介です
★先日紹介した人の続きですが、少し月日が飛びますが、同じ人の老親福祉施設・介護施設」の経過記録の続きです、今日は、8月22日11時30分から11月21日の22時までの記録です。3カ月を、わずか1枚の記録用紙で以下に、手書きと言えども、もう少し丁寧な記録が必要ではなかったのかな・・・この頃から「介護抵抗」がはじまるというか、抵抗している様子がみうけられますね・・
★10月27日、上から2段目です、車いすが冷たいと、唾をかけられた、洗身介助時に「自分で洗ってください」とタオルと渡すと、そのタオルを介護員に投げつけるということが書かれています。
★11月7日は、お風呂に入ることを拒否、11月11日は、右手首痛のために、医師が受信です、右手首骨折あり、と、書かれていますが、仔細は書いていません。別途に、「事故報告書」でもあるのかもしれませんが、今はわかりません。なんで、突然と、手首が骨折したという事故があるのか、・・・以下に、介護経過記録だとはいえ、書くべきこと」があるとは思えますが、どうなんでしょうかね。
★11月18日夜中に、トイレに行かれて、敷マットに躓いて転倒です。本人がベットまで歩く、けがを確認しょうとするが、「尻を打ったんだ」といい、確認させてくれない、と、書いています。そして、4時まで、何回か見回り、寝ている、4時過ぎに起きてトイレ、外相無し、ということのようです。
と、こんな調子で、記録が書かれているということですが、手首の骨折は、とても、気になるところですよね。