日別アーカイブ: 2023年3月2日

3月2日(木)美作水平社百年記念事業の事務整理

★木曜日で、今日は「私の休日」の日なんですが、美作水平社創立記念事業についての、雑務・事務整理もありまして、午後からは「さくら会館」に行かなくてはいけない予定の日です。行政の人たちは「年度末」と「3月議会」などでバタバタしているとは思いますが、記念式典や記念史誌発刊へ、どうしても協力していただきたい幾つかの課題もありまして、そのお願いもしなくてはというところです。午後も生活相談がありまして、少し時間がとられそうですね・・・仕方ないことですが。。。

行政の動き・あり方と深くかかわってきた「市民運動」でした、地域の特徴ある施策、首長の移行など強い影響

★水平社運動から、戦後の「解放委員会」「解放同盟」「正常連」「全解連」「人権連」と団体の名称は、変化発展してきましたが、その時々の「各自治体の移行・首長さんの施策の在り方」に、大きくさゆうされてきたのは「否めない時事」と思っています。したがいまして、自治体の流れ、かっては、美作地域は、31自治体と言われていました、その各自治体について、

①1993年(平成3年)7月4日以後の「首長」の変化、首長の氏名と変更した年月日

②2002年(平成14年3月31日)地域改善対策法の終了に関わって、地域改善特別措置法が終了した時の、行政窓口の名称・教育部局も含めて,行政対応の「運動団体組織の一覧」⇒その後、いつまで「継続」して各自治体が対応団体としているか。各自治体の「人権連の下部組織・市町村協議会の変化」など

③2005年(平成17)年前市町村合併について正式な合併年月日・合併した市町村の名前・新しい自治体の名前、出来ましたら、旧の自治体ごとの人口と新自治体の人口

等を、年表史誌に書き残しておきたいの願望です、この調査にご協力をいただきたいということの整理に入るということです。下記の事例、どう歴史に残せるのかです、いい知恵はありませんかね。

-津山市第3次総合計画-
夢発信・心かよわせ城下町  津山いきいきプラン21

平成8年度(1996)~平成17年度(2005)で平成8年4月1日に発表されました。平成7年度までをめやすにした第2次総合計画が終了するのと同時に、新しく中尾嘉伸氏が市長に当選し、第3次総合計画に着手し約1ヵ年の検討会議をかさねて作成されたものです。     →基本的には、日本共産党議員団では「人口規模について当局案10万人を議会が10万5千人に修正する」などの暴挙があり、大型事業中心・箱物つくり、民間依存の福祉施策である、などの理由で反対でした。そして、施策の具体的な内容は10万人の規模に見合った計画であるが、人口増加予定数字だけが10万5千人になっているます。計画づくりの最後の段階で「議会が人口規模は多いのが良い」というので5千人を増やすことを多数決で議決したために、内容が5千人プラス計画にならず、10万人計画での施策がそのまま印刷されたものです。

作成にあたって、2つの基本的な申し入れ
★日本共産党津山市議団として、市民の意見を尊重し、上からの計画作りではなく庶民の側からの計画作りをおこなうこと、人口規模などは実現可能な範囲を科学的具体的に検討するなどを作成に当たって申し入れを行う。
★全解連津山市協議会として、同和施策については、法を終結させる、終結する方向を基本として作成することなどを申し入れる。

末永弘之の総合計画づくり検討委員会での提案①人口ののびを無茶に(過大に)みないでほしい②県や国の施策に引っ張られるのでなく津山らしさを出すものにしてほしい③福祉、医療などについて、民間依存、ボランティアばやりだが、公が責任持つ計画作りにしてほしい④市街地再開発事業は→結果論としては、これがアルネを作り出す元になった←反対の地権者がいるのに「推進する」姿勢はおかしい、街づくりのあり方としてもこんどの計画はおかしい内容がある⑤同和施策について、法が切れることを前提として、一般法の中で物事を処理することを考えて欲しい、団体補助金も一般的な市民団体と同様にしてほしい⑥森忠政だけが評価される400年歳はダメ、単なるイベントだけならやめるべきだ。例えば「お城を築いた時の負の部分もキチント、ハッキリとさせるべきだ、「歴史博物館」のようなものをつくり、例えば、無理に美濃の国からつれてこられた大工さん石工さん・人夫さんなども多くあり、歴史の検索、庶民の側の歴史発掘などが大切だ⑦城東の街づくりなどは「苅田酒造の中を見せてもらう」とか、ワイン工場と試飲、ガラス工房のようなもの、そんなものを推進すべきだと思う。
平成7年10月9日(月)の総合計画議員懇談会での論議の模様

→2002年5月3日に議事録など参考にして整理して記述。

この記事、明日か明後日に続きますね、、総合計画と同和問題というタイトルでしょうかね、、、⇒ここは、令和子5年3月2日の記事です。20年前の物語なんですよね。

第36回津山市民平和祭り報告集出来上がり

★昨日、津山市民平和祭の事務局の方から、報告集を受け取りました、~今こそ平和憲法を守り、核兵器廃絶と戦争反対を~のスローガンのもとで2022年8月6日(月)~8月18日(土)まで行われた、平和のための戦争パネル展、と、映画「おかあさんの被爆ピアノ」の上映などの様子を収録したものです。作成に当たった、木原実行委員長・事務局の児島和則さんなどお疲れ様でした、そして、ありがとうございます。この津山市民平和祭の経過も、ある意味では、水平社百年の歴史の一齣と言えるかもしれませんね。どう書き込むか

表紙

★上の写真が「報告集の表紙」です、そして、下の写真が、木原実行委員長のあいさつの紹介記事です。

あいさつ

ある施設の入所者の医師の診断書カルテの紹介です

★令和2年5月12日のある利用者の医師のカルテ」です、専門的過ぎて、何が書かれているのかは、仔細は不明です。5月27日には、ベットからずり落ちて擦り傷(+)も痛み訴えなし、と書かれ、「別紙あり」になっていますから、「別紙」に何が書かれているのかはわかりません。

3月2日

★真ん中の、やや大きな文字、英語かなと思われる記事、記号もあるのかな、その下に、「原因不明の打撲痕あり⇒皮下出血と書かれています。それが、どうなのかは、どこの部位なのか、等はこの記録からは読み取れませんし、A施設が、この医師のカルテをどう思い、打撲痕と書かれていることを、どんな対策をとったのか、原因についてどんな調査をしたのかは、全くわかりません。

★が、がですね、今までのやり方ですと、特別に「打撲の原因調査」に等はしないで「様子見監察」だろうかなと思えます。原因については、ベット柵に本人がぶつかったのかもしれない、とか、介護抵抗で手を挙げて、その手が柵にあたったのかもしれないという分析に終わるという感じですね‥とても、とても、逆地位ではないのか」という疑いなどは絶対に思わない、書かないということですよね。・・・・