月別アーカイブ: 1月 2025

1月18日(土)美作水平社100年記念誌最後の編纂へ

★土曜日、ゆっくりの朝です、いろいろと気になることがあったり、欲しいと思った資料が「あつまらなかったり」「まとめへの取り組みがおくれたり」と、様々な原因はありますが、ともかく、やっと、最後の編纂に取り掛かりれ、今日で、印刷製本に出せるかなと思っての整理の日です。

★同和・部落のない普通の社会をめざした岡山県北東部における部落解放運動の歩み、と、称した小雑誌です、1923年7月2作りました70年の歩み囲碁を、年表史とし、主な出来事には、出来事を文章化し、必要な課題は、70年以後にこだわらないで、一連の流れを紹介しています。

鶴山会館1

上下の写真は、美作水平主創立大会の会場となった鶴山会館です。鶴山公園の2段目、昔「動物園」があった段に今でも立っています。

鶴山会館

★今はやりの、早くて、格安のネットを使った「印刷製本」にすることとしました。出来上がりましたら、格安になるかもです、是非、お手元に収めてください、お買い求め下さいとのお願いです。

歴史

上の写真は、記念誌の中ほどのページ、平和運動と部落解放運動の関連も含めての平和運動の欄です、下の写真の風船は、80周年記念式典、水平社創立の会場鶴山会館をお借りして、食事会、歴史散策をして、記念に、全国にはばたけと、参加者みんなで風船を空高くあげた時のものです。二通かな3通の返信が来たという記憶ですが、現物を探しましたが、見つかりませんでした、残念でしたということの記事です。

80年9

目次を紹介しておきますね。目次

1.美作水平社70周年記念式典の取り組み

2.美作水平社80周年記念式典の取り組み

3.同和対策事業特別措置法の遍歴と地区の変化

4.-本音で語る-同和問題シンポジウムのとりくみ

5.さくら会館祭りの開催

6.国民運動学習会の開催や災害支援活動

7.津山市市民協働の対市交渉と美作地区内の町村協議会の自治体闘争

8.女性部の活動 

9.さくら介護センターの開設(介護事業の開始)

10.平和の取り組み

12.自治体の統廃合

13.地区協議会の廃止と全国・県の組織の関連 下部組織

14.美作水平社100周年記念式典の取り組み

100年の記念式典の様子で終わっています。

美作水平社は、「人の世に熱あれ、人間に光あれ」の文言で知られる水平社宣言の翌年の1923(大正12)年、当時の津山町の津山城鶴山館で創立された。 団体の名称を変更しながら、2002年には全解連津山協議会を発展的に解消して同ネットワークとして再構築し、運動を続けてきた。

中間地方選挙の年、鏡野町から美作市・真庭市・美崎町へ

★今日、美咲町関係の選対会議、候補者をきっちりと確認して、公表できるじょうたいしていくことからですね、、、、現職の藤井さんで、間違いなくいくと思いますが、美咲町は、4月の選挙と思います。

★中間地方選挙で、一番早いのが、鏡野町、個々も、現職の藤田さんで決定、26日の午前10時30分から「事務所開き」の案内が来ました。

※美作地域の中間地方選挙について、選挙の日程は

〇赤磐市3月16日~23日投票、鼻岡美保、杉野千秋(新)の二人立候補予定

〇鏡野町3月25日~30日投票、 藤田照子が立候補予定

〇真庭市、美作市4月8日から13日投票、真庭市 伊賀基之、        美作市 本城宏道 元が予定

〇美咲町4月8日~13日投票、藤井ともえが予定候補者

★ということです、全員が勝利することを願っていますが、選挙は、何回やっても、大変です、気を抜かないで頑張ろうです。

★明日の日曜日・19日と月曜日・20日は雑記休みます、よろしくご理解ください。

1月17日(金)30年前の、この日

もう30年になりますか、朝、まだ、布団の中、家がガタ、がたとなりまして、グラッと来まして、思わず、家内に「覆いかぶさり、物が落ちないか」を確認したのを鮮明に思い出します・・・・あれば、阪神淡路大震災となずけた大地震でした。

★その後、二泊三日で「炊き出し」に行き、長田区の冬至(当時がただしい文字→18日訂正)の「全解連」組織と連絡して、カレー、ホルモン焼き、ミサ汁、おにぎりと、数か所で「しました、今もあると思いますが、新築中の「長田区図書館の建物」の1階の片隅で、寝起きしたと思います、朝は、その図書館の前で、暖かい゛ごはん」とみそ汁、後、何を出したか忘れましたが、沢山の人たちが行列をなして、おいしそうにたべていました・・・これから、写真探して、あれば、明日にでも紹介しますね、、

★津山から10人程度行きました、マイクロバスと大型のトラック、大型の車運転してくれた人は、二人とも、今は、無くなっています、マイクロの方の人は、昨年亡くなりました、トラックの方は、かれこれ10数年前でしょうか、無くなったのは…いろんな思い出がありますね。おおきな震災でした・・。

★昨日は、晴れていい天気でしたが、空気は冷たい、風も出てきて、寒い、寒い1日でした。

何で、三人の賃金未払い問題が、二人の未払い問題になっているのか、ここが最後の正念場かな、

★1月も中日を過ぎて、月日が早く流れていきます。昨日も、土地の権利関係における争い」ごとで、裁判に関係して「時効」という事態の内容についての話もありましたが、今日は、引き続き「給与未払い問題」です、少しは「前向きになってきた」という感じはなってきたのかな、関係者の努力」が少しは、あるのかもです・・・。そんな簡易裁判での動き・様子になってきましたが、残りが、大きな問題として、元々が、労働義俊監督署に訴えたのは、3人ですが、監督署が、「最低賃金法違反、労働基準法違反、事件として、告発した時点で、二人になっていたという「ボタンの掛け違い」とでもいう間違いがあり、この3人を同時に「給与みばらい」として扱う原点が、整理できていません。

★労働基準監督署の書類、不起訴処分決定書などを見せてもらいましたが、「なぜ、3人が二人になったのか」は、明確にされていません。施設の役員になっているからという、一般的な「想像」はありますが、正確さには欠けています。簡易裁判所も、その点は、明らかにしていませんし、困ったことです。

労働

上の写真が、労使契約書なんですが、この通りに働いています、役員になって欲しいといわれたのは事実ですが、役員会にも参加なし、役員会もしていないという感じもありますが、そこは、明確ではありませんね…報酬ももらっていません、ひたすら、主任という立場ではありますが、労働者として働いてく来た人です、いまさら、役員だからと「給与は出さない、しらない」ということが、まかり通るとは思えませんが、相手側弁護士も、労働基準監督署も、県薩長も、簡易裁判所も、「労働者としてみとめる」という措置をしていません。

★この問題が、解決しますと、おおむねの課題は解決なんですが、本裁判に持ち込まなくてはいけないことなのかなあー、どうも、腑に落ちないことです…法の苦労と、弁護士さんと向き合うことでかいけつしなくてはですね・・・。

請求権の「時効」という新しい問題も気になりますね

昨日のことですが、新しく、裁判というか、報に関する相談がありまして、弁護士―の紹介までには、至らず、電話で教えてもらい解決でした。自分の印鑑を「知らない間に使用されて、金融業からかなりの借金」となった、形はそうでも、これは「借金とは言わない」と思いますが、印鑑を「使用した人を告訴」することで決着、更に、別件で、20年前から「気になる借金」があるという人が相談に来られまして、借用書とか、督促状とか、支払い計画書とか、支払った時の領収書とかの存在を確認しましたが、「何にもない」ということ、嘘のような話ですが、これは、まさに、昨日生活相談として、さくら会館に知人を通じて「持ち込まれた話」です。

★時効というのかな、20年間、何にもない、お金も払ったことはない、相手から「請求もうけない」と言うことですから、完全に時効は成立しているでしょう。

★民法では債権に対し消滅時効を規定しているため、

原則5年を経過した後に消滅時効を援用すれば債権は消滅し、債務を支払う必要はなくなります。

消滅時効 一定期間が経過することで、借金や代金の支払い義務がなくなること
取得時効 一定期間が経過することで、不動産を占有していた者に所有権が移ること
公訴時効 一定期間が経過することで、刑事上の処罰を受ける義務がなくなること
刑の時効 一定期間が経過することで、刑の執行ができなくなること

まじめな人ですから、「それでは、相手に失礼になるのではないか、いいのか、」と、何回か問い直します、・・・・どうしても気になるのでしたら、一定の過金を持って行って、「払う」(払うというのとは多少違うと理解しますが)ということになりますが、そうなりますと、また、元々の話に戻りますから、ともかく、「放置しておく」(知らん顔しておく)のが一番ではないかなと、話をしてお別れとなりました。

★おかしなことで、時効に関して、一番上に書いた記事の件と、今書いている県は、別件です、ですから、2つの案件が相談があり、それが、時効という難題と関連していたということです、おかしなこともあるものです。5年は、少し、短い感じはしますが、どうかな・・・そして、何はともあれ、間違いなく、昨年から、法律、裁判、弁護士という相談事が多いのは間違いない事実ですね・・・

1月16日(木)ごきげんいかが1377号発刊へ

十六日の朝、やや、曇りかな、霜もなく、霧もなくです。朝、七時ジャスの東の空、太陽は、まだ、出ていません、そして、西の空には、お月さまでした。

16日1

16日2

末永弘之の市議会報告「ごきげんいかが」(しんぶん赤旗とともにお届けします)は、毎週木曜日発刊日です、作成は、2日~3日前頃からということになりますが、時々「お休み」はしますが、それでも、毎週という作成です。昨日印刷してもらいまして、今朝の「あかはた日刊紙」から配布が始まったということです。

★19日付けの「日曜版」にも入れてもらいます、この日曜版が、地区事務所・ポストに水曜日の夜ついて、木曜から「各配達の人」に渡されますから、どうしても、水曜日には印刷して、発刊日を「木曜日」としているということです。

第一号は、1990年5月27日でした

★ごきげんいかがとして、定期的に発刊を始めたのは、1990年5月27日からです。それまでは、本会議ごとに、末永弘之議会だよりとして不定期で発刊していました。

1号1

上が「ごきげんいかが1号」のコピーです、下は、それまでに時々発刊していた「末永弘之だより」です。6月1日の発刊で、次の週から「ごきげんいかが」となっているようです。

当時、スーパー「ジャスコ」が河辺に「津山店を創る」という話題、そして、津山市が、図書館準備室から、やっと、市立図書館へと歩みかけた時の様子を伝えています、、、、懐かしい物語です。

1号2

津山市議会「議会構成に関する申し合わせ」の論議

★昨日、15日でしたが、市議会全員協議会が行われまして、議長と市長の「新年のあいさつ」が行われました。市長は、昨年の新年早々の能登半島地震を頭において、「今年は、昨年と比較して、それでも、穏やかな新年でした」と事始め、そして、今年度は、津山市総合計画を策定する年です、住んで良かったと実感できる津山市をどうやって作るか、真摯に検討していきたいとの旨で終わりました。

★その後、JR芸備線・姫新線・因美線の利用促進と存続を求める議会議員連盟の講演会・2月7日(金)の開催についての報告などで全員協議会は終わりました。

★その後、議員だけの話し合い「議員会議」となりまして、津山氏議会・議会構成に関する申し合わせについての意見交換、その是非論などを論議しました。

★いつの間にやら、この「申し合わせ事項」を忘れて、いわば、我流で「正副議長選挙、議会選出の監査委員」の選出などをしていたという事態が、保母、わかりまして、さて、どうするか、野話し合い、・・・私は「申し合わせがあるのであれば、申し合わせを尊重し、守るべ氏であり、守らないのなら、無くしてしまえばよいこと、どちらかの選択ではないのかな」と問題を投げかけました。

正副議長などすべての役職を2年交代とする、という規定は必要、と、すれば「申し合わせは必要」との結論

★しかし、今ある「申し合わせ全部が「良いか悪いか」となりますと、中々結論にはなりません、ソレゾレの議員、会派に寄っての意見の違いは、当然のことです、いろんな角度から検討がなされ、意見も出されましたが、結果としては、各会派に持ち帰り、意見をまとめて、その意見を議会事務局に1月末くらいまでに提出し、まとめて、会派代表者会議、議員会議などで協議していくという方向で、昨日は、お別れとなりました。

★参考のために、3月議会ではなくて、5月に臨時会を開いて、2年交代ということを実施するという方針も確認しましたということでした。★

動画

1月15日(水)市議会全員協議会と議員会議の日

早いですね、もう、月の半ば、15日なんですね、、昨日から、日の出が早くなると聞いて楽しみにしていたのですが、あいにくの「曇り空」で、夜明けで、明るくはなりましたが、太陽が見えない午前中でした、日の出も見られずでした、残念、今朝も、散歩の道すがらの西の空は曇り、太陽さんは見えませんでしたね・・・雨かなとおもいますが・・・

新年早々の「あいさつ」も含めて市議会全員協議会です、そして、議員会議が行われます

★毎年といえば「そうだ」と思いますが、1月15日は、市議会全員協議会です。議会は、15日を「議員の集まる日」として定着させています、主に、全員協議会が召集されます。時々、「お休みの15日の月」もありますが、1月15日は、新年のあいさつということもあり、議長や市長が、挨拶する習わしで、めったに「無しの月」にはなりませんね。

★そもそも、何で、15日は、議員が「集う日」なのか、それなりの理由があります、いつごろから、報酬が、振り込みとなり、紙1枚を「れんらくめも」としていただくようになったかは記憶にありませんが、嘘のような話、その昔は、現金で「封筒に入れて、手渡し報酬」だったようです、私が議員になったころ、昭和46年5月、1971年ですから、54年まえ、半世紀をすぎたわけですね、・・・

★間違いなく、現金を議会事務局から「手渡し」で受け取っていました。いつ頃までつづいたのでしょうかね・・・忘れていますね…しかし、給与日が15日という公務員の様は変化していませんから、15日は、市議会議員というか、全国的に、市町村の議員は毎月15日には「集まる」ということが通例になったということですね、、‥これって、本当の話、?、かも。

美作水平社創立100年記念誌編纂の詰めへ

★完全に1年遅れました、美作水平種創立100年記念誌編纂作業、100年をもって「運動を閉じる」と宣言したのが、2023年7月8日(土)の100年記念集会の日でした。その時の決意は。

80年5

上の写真は、創立八十年の記念大会、「いつまでも、同和・部落ではない」と野新たな決意、全国部落解放運動連合会から、豊かなまち・人つくり津山ネットを経区へと組織を、改組・発展した集会のものです。

下の写真は、創立百年記念集会で、「運動の終結」を決意し、宣言した時のものです。

百年

※私たちがたどリ着いた「部落を冠とした運動の終結する時とは、」完全に、社会から「差別が無くなる」のが理想とはいえ、現実的には、幾つかの矛盾や差別は「表面化する」「永久になくならない」と言わなくてはなりません。そこで、①差別するという言動が“人間”として恥ずかしいことであるという空気をつくる、圧倒的国民が、「差別するのはまちがい」という認識を持つ社会。②「家柄」等持ち出せば「今更何を言うか」と、社会的批判がだされる。

この程度までの社会作りで充分であり、それ以上の課題を「部落」を冠とした市民運動団体の名で行うことは不可能に近いと言わなくてはいけません。

全国で「差別がゼロ」になったり、地区の人の気持ちを100%理解しないと「部落差別がなくならない」と言ったりするものでもありません。

さらに、人権への「衣替え」への注意として、21世紀「共生社会」への警告として、同和・部落問題は「共生」ではない、他の「差別問題」との「違い(同じ国民・民族の内部の問題であり、人種差別と同一のものではない)」を明確にした世の在り方を願い、

本集会のまとめとして「豊かなまち・人つくリ津山ネットワーク」の運動を閉じる決意を申し上げて結びとします。

そして、1年後には、100周年記念式典の様子を書き込んだ「記念史誌」を編纂することを決意し、約束しましたが、間違いなく、思いのほか、資料が無い、手に入らない、編纂の時間的余裕がない、などにより、1年遅れました、後、二回か三回の「まとめ・整理」を経て、印刷に入りたいと野願いです。

1月14日(火)連休明けです

★11日が土曜日で、12日が日曜日で、13日が成人ので再質と、3連休でしたが、必ずしも「三連休です」という言葉がただしいとは思えませんが、マスコミを含めて、どうしても、そういう言い方になってしまいますね・・・土曜日、日曜日、祭日など、いわゆる「お休みの日」になれば、忙しくなる職業もあり、休みたくても休めない職業もありで、大変だと思いますが…。

★今日が、火曜日です、「日曜日と月曜日」は、やや穏やかというか、普通の冬の1日でした、今朝は、曇り空かな、太陽が出ていません、昨日、やっと、報恩講、総恩講ともいうのか名を終えました。20数戸の檀家とはいえ、一応は、総代ですから、年間の会費のようなお金をお寺さんに渡して、仏壇にお経を頂き、手を合わせ、あとは、多少の雑談、お茶の時間をとってもらい帰りました。午後3時過ぎに、お寺さんから、全戸を終えましたという挨拶の連絡があり、藤に、今年の報恩講の終わりとなりました。

総恩講3総恩講1

★我が家での報恩講のお参りの様子、お寺さんの後ろから、1枚頂きました。

市議会報告ごきげんいかが」発刊

★毎週、木曜日が発刊日で、読者の皆さんにお届けします。と、言うことは、火曜日くらいには「作成を終える」必要があります。多少の誤字の点検などをしてもらって、後、整理して、水曜日には、印刷してもらい、夜に、しんぶん「赤旗のポスト」にもっていってもらい、数の仕分けをして、木曜から配布という手順です。

★従いまして、15日に行う予定の「議員会議」ですが、会議があるという紹介は書きますが、何を相談して、どう決めたのかなどは、書く時間的な余裕が無いということになります。勝っては、早いのが「取柄」と言われて、今日の事を、翌日の朝、日刊紙で配布して、お知らせしていたんですがね・・

★誤字か多い、日本共産党に傷がついて、任戯画落ちる、信用がなくなる、票が減る。と、指摘されまして、個の困りました」ね。率直に言いまして、これほどまでに、ぼろのチョン2指摘されるとは思ってなかったのが、実態でしたから、ゴジラ(誤字樂)ファンクラブまでできていた時ですから、悦に入っていた」という時でもありましたね・・・

★間違いなく、今、考えましても、間違いなく、早かったと思います、今日の出来事を、夜中になってね記事にして、印刷して、赤旗のポストに入れて、と、言う作業は、何回も経験したことでした、しかし、誤字の点検など「していただくというよゆう」などは無し、そのまんま、印刷して配布、そして、誤字が「名人」の異名をとり、叱られたという経過です。

最近は、遅くとも、月曜日には、作成、と、言うことは、日曜日くらいまでの出来事が記事になるという意味です、ニュースではないですね、、、まさに。、報告の記事となりますが、誤字など一定、点検、校正していただきますから、誤字か少ないごきげんのたんじょう」ということになっていくわけです。

書くべき内容が消えていまして、追加ですね、美作水平社創立100年史編纂について・美作地区協議会の廃止へ

印刷へ直前の最後の点検ですが、?、が、見つかりました、書いたと思われる「史誌の大切な内容」ですが、消えてしまいました、どこに行ったのか、探しても見つかりません、と、言いましても、無くなったままで仕上げますと、なんとなく「気になる内容・歴史の一齣」です、ここにきて、追加ということで、書き直しというか、改めて書き上げまして、皆で整理してもらいます。

★美作地区協議会の廃止と全国・県の組織の関連 下部組織の記事内容が無い

地区協議会の廃止へ→以下要約、※岡山県連と各地区組織(備中・美作・備前の地区)・財政の現状と今後のあり方、全解連岡山県連の「将来像」についての 検討を1995年年度から積み重ねてきました。そして、1997 年 4 月20日開催の第 49 回県連大会 岡山県における部落解放運動の歴史と教訓 [岡山県人権連]  において、長年続いてきた備前、備中、美作の 3地区協議会の中間機関を廃止して県連組織 に統合しました。

★県連への統合大会前の 4月には、三地区ともそれまでの運動全体を総括し た最終大会を開催し、この間のとりくみをまとめました。 3、新たな運動の構築へ 会員の「助け合い」運動を推進することを目的に、97 年より「全解連共済会」を岡山県で も発足させました。生命共済、自動車共済、火災共済、自転車共済、行事共済など多彩な共 済活動が展開されました。津山市、岡山市、笠岡市、井原市、新見市、倉敷市、総社市、高 梁市、備前市、勝山町、鏡野町、勝央町、久米町、大佐町、作東町、美作町、勝田町、建部 町、瀬戸町、熊山町、吉井町、加茂川町、賀陽町、中央町、真備町、矢掛町、船穂町などを 中心に全解連会員の約五分の一が加入するなど、大いに役立ち喜ばれるものとなっています。 99 年より、津山市協議会では、「さくら介護センター」を開設し、ケアーマネージャー、 ホームヘルパーによる介護事業を展開しています。岡山市三門支部では、「みんなの会館」 を 2000 年 6 月 11 日に設立しました。生活相談や各種団体の会議や学習会、朝市など生活に 密着したとりくみをおこなって住民から喜ばれています。備前市協は、「人権・平和・民主 主義を考える備前市民のつどい」を 2000 年度以降毎年開催しました。

当時の美作地域の組織としては、市郡別に羅列しますと、まず、真庭郡では、八束村、美甘村、勝山町、落合町、久世町、苫田郡では、鏡野町、加茂町、勝田郡では、勝北町、勝央町、勝田町、久米郡では、久米町、久米南町、中央町、英田郡では、美作町、作東町、大原町、東粟倉村と津山市に「全国部落解放運動連合会の支部組織」が存在していまたが、県連の方針により、全ての支部が、市町村協議会を組織し、其の市町村協議会が、県連に直轄するという形態に変化しました。

1月13日(月)成人の日の祭日

今日は、月曜日、成人の日という祭日で、三連休ということです、今朝は、晴れ模様の朝の空で、太陽が上がる前、7時前から散歩、太陽というか、日の出は、やはり、あまり早くなっていない感じ、14日から早くなるとかでしたから、もうすぐかな。

12日の朝、散歩の道すがら、那岐山を望むが…

★昨日の日曜日、朝、霧が深くて、空は、見えませんでした、太陽も見えない、日曜でしたから、7時頃から朝の定期便、散歩をはじめまして、太陽が出るのが見られるかなと思いましたが、霧がとても深くて、前というか、遠方が霞の中、何にも見えない状態でした。霧があって、冷たい空気でしたから、晴れるかなと思いましたが、12日、消防の出初と成人式、欲晴れて、風もなく、やや、暖かさを感じた1日でした。そして、車で走る道中に、やっと、晴れ間、那岐山が見えまして、いつもと違う場所からの写しとなりました。

1月12日朝奈義11月12日朝奈義2

 

12日の津山の成人を祝う会について

★津山の成人式、20歳を祝う会、は、12日(日)に終りました。成人式に参加する成人者は945人でしたが、実際に参加下人は、786人だったそうです。この日は、朝から、霧が深く、良い天気になる感じでしたが、風もなく、穏やかで、やや、暖かい1日でした。津山市では、令和4年4月から、民法の規定による成年年齢が18歳に引き下げられることを受け、津山市では「成人を祝う会」のあり方について検討を行いました。その結果、令和4年度以降の対象者は、これまでどおり「式を開催する年度に20歳を迎える人」とし、式典の名称を「二十歳を祝う会」に変更して開催することになり、今年も継続して開催されました。

★市議会議員全員が来賓ということで招待、参加してきました、その時に来賓の席から撮った写真です。若い人たち(成人になった人)が数人で、教育委員会の下で「20歳を祝う会実行委員会」を組織して、内容などを検討しての開催ということです。

20歳1

20歳2

13日(月)今日は、暦では成人の日ですが、私の地域・家では、お寺さんの報恩講の日です

★報恩講とは、先日も書きましたが、改めまして、インターネットで調べましたら、【「報恩講ほうおんこう」は阿弥陀如来あみだにょらい本願ほんがんのおこころを明らかにしてくださった宗祖親鸞聖人しゅうそしんらんしょうにんのご遺徳いとくしのび、そのご恩に感謝の思いからおつとめされる、もっとも大切な法要ほうようです。

 「報恩講」はお寺でお勤めされるだけではなく、古くから広くご門徒の家庭でもお勤めされてきました。地方によっては、「親の法事はもちろん大切だけど、報恩講はさらに大切」とまで言われるほどです。親の法事の他に、さらに「報恩講」が大切とは、どういうことなのでしょうか?その答えは、親鸞聖人の教えの中にあります。】

★というのが紹介されていました。私の地域に、西本願寺・大法寺の門徒が20人程度おられまして、今日、13日に、個別に回ってもらいます。私の家は、総代でもあり、事務的な手続きや、お金の引き渡しなどもあり、最後に予定していましたが、途中で、一戸が「留守になる」ことが事前にわかりましたから、そのア一時間に私の家に来てもらい、お勤めと、事務手続きを終える予定です。

1月11日(土)平和問題と平和新聞

★土曜日の朝、普段よりは少し「ゆっくり」です、今朝は、雪はありませんが、冷たい空気、これから晴れるのかも知りません。

11日7時11分

★写真は、11日の朝7時11分の西の空、太陽が出る直前という感じでした、昨日は、午後4時頃から、強い雨、そして、みぞれ、あられ、粉雪と、降ったり、止んだり、降る者が激しく変わったりの変化でした、朝までに降るかなと思わせましたが、朝は、綺麗に晴れた空でした、土曜日で、少しおそめの散歩の道中写真です。

★新年のあいさつというか、インターネットなどの記事も、「平和」という言葉並びます、とりわけ、日本被団協がノーベル平和賞を授与した事柄もあり、石破総理との対談について、被団協の人たちが「情けない、理解をしていない」などと、やや、残念の意味を含めての感想が多い中にあって、平和という言葉踊りますね‥

★その様子を、多くのマスコミは、石破総理大臣は、ノーベル平和賞を受賞した日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会のメンバーと面会し、核兵器のない世界の実現に向けた長年の努力に敬意を表し、祝意を伝えました。一方、日本被団協の田中熙巳さんは面会後、「要望をきちんと伝えるような時間が設けられず、収穫のある面会ではなかったので残念だ」と述べました。と紹介していますね…

下の写真は、被団協のメンバーになると思います、被爆二世の木原さん、津山市民平和祭の責任者で、昨年8月6日と9日を中心として開催される、平和パネル展の様子です。

木原さん

★日本平和委員会という組織、その下部組織区である、津山平和委員会の責任者を私がしている関係があって、いろんな情報が連絡されてきます。

日本平和委員会は、1949年に生まれました。
 アジアの人々2000万人、日本国民300万人の命を奪った日本による侵略戦争(アジア・太平洋戦争)のあと、私たちの先輩は、“戦争はもう繰り返さない”と誓い、その思いは日本国憲法9条に結実します。
 しかし、アメリカとソ連を軸とした「東西対立」が強まり、再び戦争の匂いがたちこめるようになります。こうしたなか、1949年にパリとプラハで平和擁護世界大会が開かれ、日本においても平和擁護日本大会が開催されました。この大会を契機に「日本平和をまもる会」(現在の日本平和委員会)が結成されました。以来、市民の手で草の根の活動をすすめています。
●発行物
 日本平和委員会は、情報の提供や交流のために「平和新聞」(月3回発行・470円)と月刊誌「平和運動」(月1回300円)を発行しています。郵送や手配りで届けます。

★平和新聞は、月に3回、さくら会館がポストです、そこに必要な部数が送られてきますから、私が「仕訳」します、郵送読者が二人、その他は、手配りですが、別便の「あかはた日刊紙ルート」に乗せて配布してもらいますから、個々の読者までは届けませんが、それても、帯封をかけて。日刊紙のもポスト名と、読者名を貼って、日刊紙の元卸ポストまでもっていくます。下の写真は、昨年12月25日号の一面の紹介写真です。

平和新聞

★月に3回とはいえ、中々忙しというか、一定の時間を取って飲み作業が必要、・・・・集金の方は、別に見【会計担当理事】がおられまして、その人が、2つ気か見月ごと、まとめて請求して、振替も含めて集金してくれますから、その点はらくです。

★会費と合わせて、平和新聞代金を、毎年というか、決まって、きっちりし中央に収めるという「極普通、当たり前の仕事」ですが、それでも、一回も、滞ることなく、100パーセント上納が続いているということは、関係する理事や読者のみなさんのおかげ、ありがとうございます。

★昨日も、県平和委員会からの連絡がありました、しょうかいしておきますね、、

みなさま

日本平和委員会主催のジェンダー平等講座をお知らせします。
講師は新日本婦人の会副会長・国際部長の平野恵美子さんです。
国際的視点からお話をしていただけるようです。
2月3日(月)18:30~20:00 ※18:20開室でオンラインです。
参加フォームから申し込んでください。

津山資源循環施設組合議会の「誤審情報の保護に関する条例の改正について議案会」の手続きでもありました

★先日、クリンセンターへ出かけて所要のための記事を書きましたが、会議録署名議員としての役割を果たしまして、サインしましたが、もう一つ、クリンセンターの条例改正に関する要件でした。津山圏域資源循環施設組合議会の個人情報の保護に関する条例の一部改正についての手続きです。この議案は、議員提案の形をとる必要性かに、酸性化、反対化の意思表示と合わせて、賛成ならば、提案者としての署名をするという手続きです。

★本会議で、議案会として正式に提案するのは、丘副議長の任務、我々は、賛成議員として名前を出すだけとはいえ、一応は、形をきっちりと整えないと、議案会としての体ができないという鉄付きです。

★その内容は、既定の中に、懲罰の事犯が出た場合、懲役刑という文言が使われていたのを、今回、法の改正も含めて、禁固刑に改めるという措置です。まぁー、率直に言いまして、詳細は「なかなか理解できない部分」もありますが、仕方ない、当然ということなのかもしれないと、サインしましたということです。

1月10日(金)冷たい日々が続きます

★寒い、毎日冷えた冷え込んだ日々です、考えようでは、気温のことだけではなくて、世の中全体が「冷たい・冷え込んでいる」ということにもなっています、世の中中々いいことにはであえませんね・・・・・今朝は、雪景色が、昨日の朝よりも多い、道が真っ白、積もっているというのではないが、降っている、木陰のような道は、それでも「積もっている」と言えるかもです、冷たい空気、日刊紙の整理と、散歩が雪道」でしたから、足の先が冷えて、冷たい、家に帰って、ストーブで足を温めての朝でした。

★一昨日は午前と、午後改まって「給与未払い問題」で、関係者と弁護士さんと相談、私は、仕事しながら、いわゆる「ながら属」で参加、時々口をはさむという感じの相談、2年前に、労働基準監督署に3人が訴え、労働基準監督署は、書類送検したんだ。

2年前にマスコミで書類送検の記事も出ていたんだ

★マスコミの記事からですが、3人の訴えを二人にして検察庁に送検していますから、?、です、なんで3人でないのか、そして、この検察庁送検後は、どうなったのかなど、幾つか調査というか、研究が必要な感じですね。

★特定非営利活動法人、いわゆるNPО法人かな、少し違いがあるとも聞きますが、まぁー、同じようなものと解していきますが、この法人・特定非営利活動法人(とくていひえいりかつどうほうじん)は、19918年(平成10年)12月に施行された日本の特定非営利活動促進法に基づいて特定非営利活動を行うことを主たる目的とし、同法の定めで所轄庁から設立を認証された法人である。と規定されています。

★3人のうち、外されています一人の人は、この法人の「役員」になって欲しいと依頼されて、役員になっています、そこから、労働者としての「賃金未払い対象」から外れるということになったのかなと思ってみたりですが…

※役員会に見呼ばれたことはない、会議をしたことはない、役員報酬はもらったことはない、の、無い無いづくしですから、どうもおかしなことだと思います。そして、労使契約も結んでいまして、働き方の仔細、勤務時間、給与の規定なども契約しています。その中で、「管理職手当」を付けていますから、現場の責任者化、1つの部門の管理責任者かの任務はしていたと思いますが、この「管理職手当」があるから、賃金未払いの労働者・働いた人とは認められないという理屈があるものかと思えて仕方ありませんね。

★以前にも紹介しましたが、そもそも、労働基準監督署が「施設の側の言い分・百カ月しはらい」とか「六十回支払い」とかで、しかも、施設に毎月取りにことか、の、言い分を、訴えた労働者側に伝えるということが中心になっていたようで、そこのところが「おかしなこと」だと思いますが…。

2024年令和6年の1月28日のマスコミ記事から

津山労基署は1月24日、労働基準法違反と最低賃金法違反の疑いで、障害者向け介護福祉事業を行う岡山県鏡野町のNPO法人・○○と同法人の理事長(52歳男性)を岡山地検津山支部に書類送検した。

 同署によると、理事長は正規職員2人に対して、2021年1~9月の9か月間の定期賃金の一部(合計112万円)と、就業規則において定められている年に2回の賞与1年分(合計200万円)を支払わなかった上、同年1、2月分の賃金を、当時岡山県が定めた最低賃金(862円)を下回る額で支給した疑い。

新聞技師をそのまま利用させてもらいましたが(一部追加と○○へ変更有)ここから、二人になっているわけなんですよね、、、労働基準監督署が、この自伝で、なぜ、二人としたのかを明らかにする必要があるのかもしれません、・・・とかく、裁判沙汰、法の世界は、微妙で、むずかしいですよね・・

昨日も、一つ、難儀な法の中の世界でした

★昨日も、古くて新しいんだいの問題、やはり、法律をめぐってのいざこざというところでしょうか、大影向建設の疑惑解明を求める住民の会(宮地昭範会長)の事務局会議が、久しぶりに行われまして、まったく、古くて新しい課題が提起されまして、判断が「なかなかつかない」というかんじですね・・・・

9月1

写真は、私の質問の様子の写真ですが、議会質問までが、インターネットの使い方と関係して思考するということになりますと、質問が段々と「やりにくくなる」というものですが、議員の質問というのは、自由です、何人にも、何事にも制約されることなく(もっとも、個人的なプライバシーなどは禁止条項ですが)質問というのはできます、三権分立、司法も、あまり、議員の質問のやり方とか、質問の内容の「是非論」まで立ち至って入り込むことはないと、しんじているのですが、・・・・。

★近藤議員が「損害賠償事件」で、裁判所の和解勧告で「和解」をした、その和解の条件を無視して、12月議会で、近藤議員が「太陽光疑惑問題を質問した」ということの是非論になっている様子です。質問をしてはいけない、と、言う意味の「和解案件は無い」と理解しているのですが、そこは、複雑な「法律の世界」ですね‥‥インスタグラムに書くか書かないかは、明らかに「禁止条項」のように和解内容ではなっていると思います。

★質問したことと、この禁止条項がどう結びつくのか、かんけいがあるのかどうか・・・今後の在り方が大きく問われる課題でもあり、私の「未知の世界」である、インターネット上の課題、SNSの世界観の恐ろしさというところでしょうかね・・・・基本は、近藤議員が「受けて立つ」ということになりますが、「住民の会」としても、様子を見守る、弁護士と、しっかり相談するようにという感想を述べあうということですね…

1月9日(木)津山資源循環施設組合議会の件

昨日は、1日寒い日でした、山沿いは雪が降っていた感じ、那岐山は、1日雲の中でした、時折、雲が切れる時もありましたが、山中付近は、曇りというか、行木が降っているのかなという感じの長めでした。それでも、午後4時半ころには、那岐山の上の雲が流れまして、山頂が見えるようになりました、雪景色です。

1月7日奈義21月8日奈義1

★今朝は、雪景色と言いたいところですが、あたり一面ではなくて、道路の端のま草の上、あたりの草木の上、家々の屋根の上、もっとも、北から南を観た家々です・・・・外に止めている車の上などが白いという雪景色、道路などは、雪は解けていますが、日陰の所は、白くなっています、全国的には大雪とかですから…

今日は、午前中は、2月8日に来津が決まりました、7月に行われます参議院選挙の、日本共産党全国比例区の予定候補・白川よう子さん(元香川県県会議員)の1日の活動の在り方などを含めた、会議が昨日ありまして、その整理と、チラシなどの作成、小集会の会場とか、を整理します。

5人と白川さん

★地方選挙との関係で言いますと、鏡野町、真庭市を中心として、津山の中心部から西地域での集い、そして、もう一つは、美作市、美咲町を含めて、津山市の東部、さくらブロック地域などでの集い、大きくは、2か所での「白川さんを囲む小集会」を企画したいなの思いです、その会場を創ったり、白川さんを中心とした食事の場所、球形の場所などを検討します。

★2月8日(土)午前10時→鏡野町瀬戸・藤田照子町議事務所→真庭市・鏡野町に、津山市の西ブロック、中ブロックなどの党と後援会のつどい

★2月8日(土)午後2時30分→市内大谷・中央公民館大会議室⇒都合で、末永弘之の市政報告会を行います。この報告会に、白石よう子さんにあいさつ・激励に来ていただきます。美作市・美咲町に、津山市東部、さくらブロック関係の人たちを中心に、私=末永が、市議に復帰して2年になろうとする、市議会の特徴などを報告します。

いずれの会場も、党と後援会のみなさん、家族や、知人、ご近所お誘いあわせで多数ご参加ください。よろしくお願いします。

クリーンセンターの「圏域議会」関係の諸用事

★午後は、市内領家にあります、津山資源循環施設組合議会事務局を訪問する予定です。通称「クリーンセンタへ」と称しています。11月15日に行われました、本会議の「会議録署名議員」としての役割を果たすことが中心、2月に、予算などの「定例会議」が予定されていますから、その内容も、少しは聞けるかなと思ったりです。

クリン1

★どうも、うまくいきませんで、なぜか、圏域議会関係では、私しか質問をしません、以下、登壇で質問した一つの案件のやり取りの紹介ですが、これ以外に、食品ロス・食べ残し対策の扱いと焼却の実態、プラチック類の小きゅくの現状と、減量化問題などを、関係する各市町子度に答弁してもらったり、クリンセンターとしての対策の在り方などを質問したのですが。

クリン2クリン5

写真は、昨年11月の資源組合議会での質疑の様子です。

質問その①⇒昨年度決算時の問題点でした、ごみを他都市に持ち出し焼却してもらうこともなくなり、ごみの搬入量が、1863トン(4、5%)減少するなど一定の成果が見られることに敬意を表します。とはいえ、幾つか気になることもあります、稼働から8年、そして、稼働までの数年、本当に、色んな経過がありましたが、前々市長が管理者であった、準備組合から、正式な資源循環施設組合になって、当時の管理者が、津山市長1期目の任期切れの直前に、新クリーンセンター建設予定地を「購入した」という事実、そして、本人が発表した「クリーンセンター建設予定地の面積の倍に近い土地購入」「裁判所が指摘した価格よりも倍近い単価での購入、その他、大量の「産業廃棄物・旧久米地域の公共下水道工事に伴う廃棄物の埋め立て」など、様々な要因で「高い買い物」になった訳で、今回、その理由とか。対策などをお聞きするものではありませんが、管理者にお聞きしますが、クリーンセンター関係建設に関しての支払い決算額を教えて下さい、そして、それは、いつまで継続されるのかも合わせて教えて下さい。

答弁→施設建設に関する支払い額についてお答えします。

津山圏域クリーンセンター建設総事業費は、用地取得費を含め145億円で、その財源内訳は、国からの交付金が40億2千万円、組合の借入金である一般廃棄物処理事業債91億1千万円、一般財源13億7千万円です。なお、令和5年度の償還額は、元金と利子を合わせて7億5,924万4,891円で、今後、令和20年度まで償還を行います。

★前々市長(資源組合の管理者を兼ねる)によって、高い買い物をした今の土地、その支払いを今でも続ける市町の実態、・・・・いったい、だれが責任を取るのかも明確にならないというジレンマ、法の無茶なありよう、低ふんする側にも、議決する側にもね「責任がない」ということです、こんなことですから、無謀な施策がまかり通る…

★せめて、未来の人たちが責任を取る場合、議決した議員、予算に賛成したぎいんに「なにがしかの責任を取らす」という方が生まれれば、ぎいんが「せきにんもつ」体制が生じ、まともな政治が生まれるのではないかなと思っているの照すが…どうかなです。

1月8日(水)簡易裁判について・調停申し立てとは?

昨日は1日冷たい風、午後は、雪花も散りまして、冷え込みました。今朝は、小雪が舞っていまして、草木の上が、白くなっています、冷える朝、しばらく寒波が続きそうな気配ですね。

★最近、弁護士さんへのつなぎ案件が多くなっています、その中の一つ、昨年から続いています、簡易裁判での「給与未払い問題での調停申し立て案件」ですが、普通は、給与をもらっていない労働者の側が「未払い賃金をもらいたい」と調停などをするものと思っていますが、この場合は、逆なんです、施設の側(給与を出していない側)が、「出すのだけれども、70カ月と労働基準監督署では主張したが、30カ月で支払う」という申立てをしたということです。

★施設の側に、お金がないということだろうと想像しますが、裁判にかける、弁護士費用がいくらかはわかりませんが、そんな無駄なことにお金を使わないで、賃金を支払うことを最優先すべきとは思いますが、どうなんだろうという相談ですね、おかしなことです。

民事調停とはどんな制度?訴訟ではなく、話合いによって円満なトラブル解決を図る裁判所の手続

★金銭の貸し借り、交通事故の賠償請求、近隣関係など、給与問題など当事者それぞれの言い分が異なることからトラブルになってしまうことは珍しくありません。そのようなトラブルを、裁判(訴訟)ではなく、できれば話合いで円満に解決したいという場合には、裁判所の「民事調停」という手続があることをご存じでしょうか。

★裁判所には、「民事訴訟」をはじめ、トラブルを解決するための様々な手続がありますが、そのうち、「民事調停」は、当事者同士が話合いで問題の解決を図る裁判所の手続です。

★法廷で双方が争い、裁判官の判決等によって解決を図る「裁判(訴訟)」とは違って、民事調停では、裁判所の「調停委員会」が当事者双方の言い分を聴いて歩み寄りを促し、当事者同士の合意によってトラブルの解決を図ります。訴訟よりも手続が簡易で、解決までの時間が比較的短くて済むという利点があります。また、当事者同士の合意を基本とすることから、当事者にとって円満な解決が期待できます。

★これが、例によりまして、インターネットで調べた回答です、が、私に相談かあります案件では、どちらかといいますと、申立人の側の意見を、申し立て相手(労働者)の側に伝えるという「調停をしているのかな」と思える感じが強いですね。今のところ、こちら、弁護士を立てていません、相手は、初めから弁護士を立てていますから、直接、本人らが対応するのと比べますと、弁護士が入るほうが良いのかなと思ったりで、今日、弁護士の件も含めて、関係者での相談会です。

13日の総恩講の準備もなかなかですね…

1月13日(火・祭日)に、私たちの町内に属します、大法寺という津山市久米川南にあるお寺・大法寺の檀家による総恩講の日です。20年位前までは、集会所・公会堂、あるいは、檀家の中で「新しい仏さま」になったおうちを借りて、檀家全体が集まって法要をしていましたが、10数年前から、個々の家をお寺さんに回ってもらい、仏壇の前でお経をいただくという方法に変えましての準備です。

大宝寺3

★準備といいましても、私がそう台帳でして、お寺さんと日時などを打ち合わせをして、13日を決めまして、二十軒程度の檀家を回る順番を、今度は、檀家の中で相談して、こちにの都合をお寺さんに知らせて、一応決定をして、檀家各位に、訪問する日時を連絡するという準備です。もちろん、我が家の「仏様・仏間」も多少の片付けとか、仏壇の掃除、飾りつけなどもしなくてはいけません。

★準備の中で大変なのは、年間のお寺の部金集め、併せて「新嘗祭・新米のお供え」を準備することです。昔は、本当に、新米を持ち寄り、お寺にもっていきましたが、今は、お金で「やり取り」します、・・・・少しだけ、他から指摘されるとおかしいのは、「品物のお供え品」が元ですから、この「お金のやり取りお供え品」は、領収書がありません、部金には当然領収書がありますが、各子から見ますと、出したお金の全額の領収書になっていません。

大宝寺1

★?、どうなっている、総代でも、愛を抜いたか、と、疑われる可能性を持つという物騒な任務です、・・・・私の場合は、この新米お供え品(現金)については、町内檀家総数の「受け取り証明」を書いてもらい、個々の人碑殿檀家の人の領収書と合わせて、満額をお寺さんにも渡したという証にしてもらってはいますが、多少、厄介な総恩講の準備です。

大宝寺1

★報恩講(ほうおんこう)とは、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人(しんらんしょうにん/1173年~1263年)のご命日をご縁として、営まれる法要(行事)のことです。報恩とは、親鸞聖人のご恩に報謝や感謝するという意味で、講とは人が集まる会のことで、特に仏教のお話を聞く会のことを言います。

◆報恩講の日程

浄土真宗本願寺派のご本山である西本願寺では、毎年1月9日から親鸞聖人のご命日である1月16日までの七日間にわたって報恩講法要をおこなっています。本願寺派では、明治6年(1873年)より太陽暦を採用しており、それ以降、1月に報恩講をおこなうようになりました。それ以前は、旧暦の11月28日を親鸞聖人のご命日として、その時期に報恩講がおこなわれていました。

東本願寺をご本山とする真宗大谷派では、現在も旧暦を採用しており、東本願寺では11月に報恩講がおこなわれています。報恩講は、一般寺院でもおこないます。一般寺院の報恩講は、ご本山の西本願寺と日程をずらしておこなわれることが多いです。ご本山の報恩講に先立っておこなわれる報恩講のことを、御取越(おとりこし)とかお引上(おひきあげ)とよんでいます。

ちなみに、信行寺の報恩講も、毎年11月か12月にご本山に先立っておこなっています。また、地域によっては、浄土真宗の門信徒のご自宅で報恩講をおこなわれるところもあります。

◆報恩講の由来

スライド10

報恩講の由来ですが、永仁二年(12914年)、親鸞聖人のひ孫である本願寺第三代宗主(しゅうしゅ)の覚如上人(かくにょしょうにん/1270年~1350)が二十五歳の時、親鸞聖人の三十三回忌を本願寺にてお勤めされたことを由来としています。

★三十三回忌を期に、覚如上人は親鸞聖人のご遺徳を讃える『報恩講私記』(ほうおんこうしき/『報恩講式』とも言う)という書物を記されました。そして、親鸞聖人の御真影(ごしんねい/影像のこと)の前で、覚如上人は『報恩講私記』を拝読されたと言います。

それ以来、本願寺では報恩講が勤められ、その時に『報恩講私記』が拝読されるようになったそうです。報恩講という名前は、この『報恩講私記』(ほうおんこうしき)という書物の名からきています。

★長い、長い、お寺さんからの教文の写しでの紹介でした。毎年の行事の一つです。中々大変なんですよね…