月別アーカイブ: 7月 2023

7月19日(水)平和自治体回り、私の当番の日

今朝は雨です、一日降るのかなの感じですが、どうだろう・・・昨日から始まりました、平和網の目更新、美作地域の自治体あいさつ回りですが、事務局の責任者Kさんが少し体調がすぐれないという連絡があり、大事にして下さいと、お見舞い方々今日は、美作原水協の下野理事長、私らで頑張りますからということになりまして、朝から、出かけます。

★今年の日本原水協主催の世界平和大会」は、八月九日を前後として長崎がメーン集会です。そして、六日が広島でサブ集会となります。22日(土)午前10時からが、津山市民平和集会です。そして、平和行進も予定し、そのあとは、神楽尾山にあります、原爆の碑へお花をお供えして合掌、平和祈願です、多数の皆さんのご参加をお願いします。

市議会報告「ごきげんいかがですか」の発刊

★毎週木曜日が発刊で「末永弘之の津山市議会報告・ごきげんいかがですか」は、新聞赤旗読者を中心としまして、後援会員の皆さんに週に一回お届けしています、今回、1313号の「作成印刷」です。8年前に議員を「勇退」し、しばらくは発刊、13号01号まで作成しまして終わっていましたが、今回、再度議員へとなりまして、復活したものです。

★この「ブログ」とは違ったもので、こちらは、毎日です、最近は、日曜日はお休み、議会報告は、週に一回発刊、新聞赤旗日曜版【月ぎめ930円と思います】をお読みください、必ず、「ごきげんいかがですかニュース」が見られますから、よろしくお願いします。

★誤字脱字の名人、読者の中には「ゴジ樂クラブ」まで作っていただき、変換ミスの誤字について、検討して、「変換ミスの誤字の方が、意味がある、ただしいきがする」とまで、冷やかされてきたものですが、再開してからは、少なくとも3人の人に点検していただき、内容の不備、年度とか法などの違い、そして、誤字脱字、変換ミスと直してもらっていますから、「かなり少なくなった」とおもっています、・・・ある読者の人が、「誤字を探す楽しみがなくなった、つまらない」なんて、とんでもないことを言う人もありますが、まぁー、何とか、「笑われないようにしたい」の願いの発刊です。

市議会総務文教委員会の視察・勉強会多し

★今回議員にならせていただき、総務文教委員会に所属し、田邑・一宮地域に建設中の太陽光発電建設現場」の視察を予定しましたが、2度、雨で流れました、延期したわけですが、27日に「3度目の企画」が出来上がりまして、昨日、時間などが事務局から連絡ありました。3度目の正直、実現しますようにです…

そして、久米のプールの勉強会、学校給食の勉強会、全体の議員を対象の条例とか法律とか」の勉強会と、忙しく勉強会、視察が続きますね。

7月18日(火)平和自治体回りです

★昨日は暑かったですね、40度ちかくまで温度が上がったのではないかな、全国的に「猛暑・暑すぎる夏」という感じの海の日でした、海も沢山の人でにぎわったのかな、コロナは、どうなのか、多少は心肺ですが、世の中の動きは、動です、どうかなではなくて、まさに、動そのものですね。

美作原水協の夏の平和運動です

★今日と明日の2日間を掛けまして、前真庭郡内(現在は真庭市と新庄村かな)を除いて、美作地域の平和運動」として訪問し、首長さん、教育長さん、儀地陽さんラのメッセージ・ペナントなどを書いていただき、広島へ届けます、今、日本平和行進は岡山県内を行進ちゅょうですが、其の「網の目部隊」として自治体訪問、明日が、津山を中心とした行動ですから、私は、明日が当番ということになっています。

平和行進

★そして、週末の22日が、津山市民平和集会と平和行進の日です、暑かったらばてるかも、熱中症なども気を付けて、午前10時から、吉井川河川敷公園・元いずみ前です。暑い夏です、夏は、8月6日がヒロシマ・8月9日がナガサキです、原爆許すなです、一歩でも、2歩でもご一緒に歩きませんか>

太陽光発電建設工事をめぐる疑惑解明の市民団体

★先日、雇用労働センターで、60人が集まって組織されました、【太陽光発電建設に係る「疑惑解明」を求める市民の会】ですが、下記の目的を明らかにして、五十人強で出発です。

※津山市田邑・一宮地域に建設中の「太陽光発電建設に係る疑惑解明を求める」活動及び「疑惑解明」の運動にかかわる訴訟が提起された場合は、その訴訟の被告を励まし、裁判の勝利のために活動する。

※ 本会は、前条の目的を達成するために次の事業を実施する。

(1)必要に応じて情報の共有を図る。(事務局作成のニュースなどの発行)

(2) 裁判など特別の費用については、必要に応じて、役員会の儀を経て、年会費とは別に「特別カンパ」を行う。

(3) その他、目的の達成に必要な活動

などが中心となっています、役員会というか、当日選任されました「事務局員が集まりまして、活動の具体化です。近藤吉一郎の裁判もありまして、其の支援部隊をどう構成していくのか、も、一つの課題ですが、贈収賄疑惑」が提起されているわけですから、あれこれの「理屈」ではなくて、疑惑があれば晴れるようにしていく、晴らす」のが市民団体の役割と決めたわけです。可能な限り頑張ろうですよね。

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★開発もかなり進んでいますが、安心・安全な工事なのか、住民代表としての減さ視察は、断られ続けています、議会の視察は、雨で運気、近く日程が決まるのかもしれませんね、、どうなりますかね。

7月17日(月)海の日というのかな、お休み

★土曜日から言いますと、三連休です、海の日という祭日です。昨日は、太陽もでて暑い1日でした、が、どことなく、じめじめ感が漂う暑さでもありましたね、、真夏日ではありますが、カラッとした暑さでないですね、今朝は、曇りです。

海の日の由来とは?単純に海に行く日ではないのだ

もともとは7月20日が「海の記念日」として制定されていました。
1876年(明治9)年に明治天皇が東北巡幸の際、灯台巡視船「明治丸」で青森から函館を経由して横浜港に帰着された日が7月20日ということで、そこから長く「海の記念日」と呼ばれてきましたが、1995年(平成7)年の法改正で翌年より「海の日」として祝日になりました。

その後、2000(平成12)年より国民の祝日を一部月曜日に移して3連休にする「ハッピーマンデー制度」がつくられたことにより2003年(平成15)年から現在の「7月の第3月曜日」が海の日となったということのようですが、単純に、暑い夏、そろそろなつやすみにもなり「海にでも行くか」という感じで「海の日」かと思っていましたが、少し認識不足でしたね。。

★今日は午後日本共産党津山市委員会の話し合いです、党を大きくする運動の在り方に合わせて、宣伝カーが壊れまして、善後策の話し合いです。全国的、山陰地域から、東北、北陸へ、大変です、最近よく耳にする言葉、

線状降水帯による大雨の半日程度前からの呼びかけとは

「顕著な大雨に関する気象情報」の発表基準を満たすような線状降水帯による大雨の可能性がある程度高いことが予想された場合に、半日程度前から、気象情報において、「線状降水帯」というキーワードを使って呼びかけます。
 この呼びかけは、警戒レベル相当情報を補足する解説情報として発表します。

★線状降水帯が発生すると、大雨災害発生の危険度が急激に高まることがあるため、心構えを一段高めていただくことを目的として線状降水帯による大雨の半日程度前からの呼びかけを行います。この呼びかけだけで避難行動をとるのではなく、ほかの大雨に関する情報と合わせてご活用ください。大雨災害に対する危機感を早めにもっていただき、ハザードマップや避難所・避難経路の確認等を行っていただくことが考えられます。

という記事になっていますが、大変な被害もあり気を付けなくてはです。

愛和荘問題は、どうなったのか、の問い合わせあり

★妙なもので、一つことがありますと、似たようなことが二回、三回と愛和莊というか、私にとっては「愛和会」問題ですが、二日ほどつづけて「告発されて、そのごどうなったんですか」と聞かれましたが、きのうも「検察庁に起訴されていないのですが、ふきそになったんですか」という意味の問いかけがありました。

★実は、今だ、何にも無しなんですね、「けんとうちゅう」という事態が続いている感じですが、はっきりとは「不明」ということです。市が虐待と認定して、その後、県の指導のことも気になり、処分は無しだった、とか聞きますが、確認もできないままです。処分がないとすれば、やはり、愛和莊というところは、すごいところということになりますね、、どうなっているのでしょうかね。

7月15日(土)天気は相変わらずすっきりしないです

★土曜日の朝、今日も曇り空です、スッキリと晴れてほしい思いの朝です、先日開催しました、「美作水平社創立100年記念式典」の残務整理、そして、100年記念史誌編纂へ本格的な準備です。昨日の「津山朝日新聞」(夕刊)に、一面トップ記事で、「津山の水平社運動終結へ・創立100年記念集会で宣言、「今後は一人の人間として」と見出し付きの大きなスペースをとっての記事が出ていまして、うれしいことです。

百年記念集会に参加して…の感想もいくつかあり・・

集会が終ってから、何人かの人から、連絡をいただきました、私が発表した「終結宣言」について【社会から完全に「差別が無くなる」のが理想とはいえ、現実的には、いくつかの矛盾や差別は「表面化する」「永久になくならない」と言わなくてはなりません。そこで、①差別するという言動が゛人間としてて恥ずかしいことであるという空気をつくる。圧倒的国民が「差別するのは間違い」という認識を持つ社会。~攻略~この程度までの社会づくりで充分であり、それ以上「部落」を冠した市民運動団体の名で行に売ことはふかのうに近いと言わなくてはなりません。全国で、差別がゼロに」になったり、地区の人の気持ちを百パーセント理解しないと「部落差別は名のならない」と言ったりするものでもありません。】

とした宣言の内容、「私もそう思う」という、かって、教育現場におられた人からの便りです。『かって、同和教育をいくらかやりました。教員個々の人の考えはありますが、学校全体の方針、教育委員会や国の方針としてやりました。【差別は表面的にはみえにくくなっているだけで、無くなってはいない。だから、これからもしっかりと、人権=同和教育をしなくてはいけない】とおしえ、゛差別の砂浜な実態゛というものを提示して、…それで、本当に、差別が無くなるのか、よい世の中に向かっているのか、頭の隅で、いつもそんなことを考えて居ました。】

と書かれています。(原文のままではありません、多少、要約しています、悪しからずです。)

★歴史的集会にお招きいただきありがとうございます。津山の運動は、社会発展の源点と多くのことを学ばせていただきました。運動のエネルギーとさせていただきました。疎遠だった、○○さんともお話ができました。有難う誤差いました。

★お久しぶり、もはや老輩の年ですが、ご活躍を、頑張ろう。       ★暑中お見舞い申し上げます。昨日のこと、本当に、うれしく、懐かしい思いでいっぱいです。貴兄のさわやかな言動、ますますもってさえています。この暑さ、何かとご自愛ください。

★集会に参加できません、創立百年記念集会おめでとうございます。父の生前には、大変おせわになり有難うございます。「黒い雨」の勝訴判決は、父が無くなって四カ月後でした。まだまだやりたかったことがあったと思います。記念誌は、一冊御願いしますと、多額の金子送っていただきました。

★本日の集会、とても良かったです。15歳の時に高校部落研に入り、それ以来の運動を振り返り、胸が熱くなりました。

等のメモ、手紙、通信記事・声です、ありがとうございます。

7月14日(金)幾つかの相談事の日

★相変わらず、天気はすっきりとしません、朝から雨模様の曇り空です、昨日も、くもりとおもって「庭掃除」しかけましたら、雨模様、大雨ではありませんが、小雨状態が続きました。途中でやめて、夕方、雨上がりを待っての整理でした。今日は、九時、十時、十一時、三時と五時、暮らし・政治相談ありの日です。

田邑・一宮地域に建設中の太陽光発電工事は?

★はげ山から流れ出る「泥水」(赤い色のみずと地元の人は称しています)について、津山市にも建設現場にも、財産区にも「苦情のようなものは届いていない」ということのようですが、?の現象。。。。紫竹川と思いますが、其の周辺の農家の人、其の水路を使う人、皆「不安」いっぱいだと私には連絡が入るのですが、、、違うのかな…?

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田邑・一宮地域の「はげ山」の風景です

★湯谷川、見内川、などが小さい河川で、田んぼに直接接する川ということになるのかも、紫竹川に流れ込むと思います、紫竹川が主流で、二宮付近で、吉井川に合流する川と思いますが、上田邑から、下田邑にかけての水田地板ですから、もう少し、調査も必要かな。

工事の安全性を確認したいが、どうするかな?

市議会総務文教委員会で、現地視察をと2回予定しましたが、雨で延期したままです、付きはいつの日になりますかですが、それいがいにも「私」を中心として「市民代表」という形で、もう、2年近く前からの視察も「お断り」されたままです、中々実現しませんねですが、未来永劫にわたって、大丈夫な工事になっているのか、?、ここが一番の心配なんですよね。

★谷を埋めて、山を削って、それなりに一定の面積を、平らにするというか、太陽光発電の工事ができるようにする、その、敷地づくり、造成工事が、規定通りなのか、確認」をするのかなです。私の知っている「あの谷」を埋めていますが、そこにあった、大きな木などは、どうしたのだろうか、掘って「外に持ち出した」のか「そのまんま埋めたのか」、、?、どっちかな、と、いうことも聞きたいところですが、聞く機会が訪れませんね、、いつ実現するのだろうかな、です。外に持ち出したとすれば、「どこに捨てたのか」知りたいですね、、近くで「ここに捨てた」という産業廃棄物処分場は、無い、と思いますが、どこだろう、まさか、「産廃は福井県だ」なんていわないよね・・・

森林開発に関係して・森林伐採のデメリット

環境破壊 ⇒木は切ってしまうことはたやすいです。しかし、そこをまた元の森林のように再生させるには、かなりの時間を要します。むやみに伐採をしてしまうことは、環境破壊の大きな要因となっています。
また、過度な伐採を行うと、私たちが将来生きていく際に必要な資源が足りなくなってしまうという事態も考えられます。

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●災害拡大の危険⇒木は、ただ立っているだけでなく、地中では土砂の流動を防ぐなど大きな仕事をしています。過度に伐採が進んだら、その役割をするものがいなくなってしまいます。そこへ、もし台風や大雨など、大きな災害が起こった場合、がけ崩れや倒木、また甚大な土砂災害につながるおそれがあるのです。

●地中の栄養分がなくなってしまう⇒倒木や生物の糞などが分解されて堆積することにより、土壌栄養分は豊かになりますしかし、過度な森林伐採をされてしまうと、木の根元に溜まった栄養分が流れ出してしまい、土壌栄養のもととなる木材がなくなってしまう可能性があります。

森林伐採には許可が必要です⇒県の許可かな。

★森林伐採をする場合は、所在地の公共機関に届けなくてはなりません。森林が保安林の場合は「伐採許可申請」を出す必要があります。

森林は水源になるうえに、前述したような土砂災害の防止、生き物が生きていくうえでの必要不可欠な役割を果たしています。また、森林伐採は自国や近隣国だけでなく、世界の自然環境にも関わってくる行為です。なので、各所へ届け出をしながら、適切に実施することが重要なのです。

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森林の大切な働きを失わないために、伐採をした跡地の造林を事前に届け出ることも義務とされています。

伐採をした後も木材の管理がしっかり行われていない場合、残った木枝を「廃棄物の放棄」とされることがあります。そういった基準も地域によって異なってくるので、伐採を依頼する前に、所在地の行政部署に確認を取りましょう。

7月13日(木)久しぶりに、私の休日です

梅雨がまだ、明けきらない感じの毎日です、今朝も曇っています、やや蒸し暑さはない感じ、最近は、曇ったり、降ったり、晴れたり、全体としては「むせる毎日」という感じでもあります、からっとした「青空」にはなり切りませんね、いわゆる「梅雨が明けた模様」とはならないのでしょうかね。今年は、まだ「梅雨が明けた模様」というニュースは流れていないのだろうと思いますが‥木曜日て、久しぶりに「私の休日」の日です、ゆっくりとしたいなの思い…

末さん、何の話しかな、の問いかけあり

昨日の、私の「ブログ記事」を読まれた人から、「末さんだけに、中島(議長)が注意したとは、何の事なら、叱られたんか…」という意味の問いかけが電話でありまして、叱られたわけでもないと思うが、まぁー、質問の時間は30分と決めているから、残り時間が少なくなたから、30分以内で終わるようにと、事前に注意したということかな・・・」と説明、すると、「あんただけに注意をなしてするんなら」ときました、?、「議長にきいてくれるか」しか言えない、…「よっぽど、気になっているんだろうな、気に食わないというのかもしれん、質問をさせたくないのが本音にあるのかな…」という感じもついでに、私の「考え」と断って説明しました。

★それにしても、末さん、中島には、怒らなんだんか」と、つっこまれまして、「怒ることではないとは思うが、とっても、おかしいとは思っているよ、かなり、偏見を持っていることは、事実でしょう。。。。まぁー、2年か、4年かは分かりませんが、ゆっくりと、お付き合いをさせていただく以外には、ありませんかね・・・」と、笑いながらの電話の話、今日は、久しぶりのお休みで、頭が「軽くなった」ということで、一つの「お茶・コーヒーかな、飲みながらの雑談」ということでした。世の中、色々ですよね。

もう一つのことは、かなり「おかしい」ですね

★こちらは、新聞を読んだ瞬間に、アレっと、思ったのですが、安生、関係者から電話がありまして、「新聞読んだか」から始まりまして、「何とか津山もしてほしい」で終わりました案件です、赤磐市の「特別老人施設で虐待が発覚し、市が【処分した】」との記事についてです。全く、私が、その記事を読んだ時と、おんなじ感覚での対話となりました。

★実は、私たちは、県や市から、老人福祉施設内の虐待については、虐待の認定は津山市が行うが、それについての【処分は岡山県のやることだ】と言われ続けています、それが、虐待防止法などの「定めだ」と言われてきたわけです。そんなものかな、と、思っていたのですが、今回の赤磐市の「新聞記事」は、見事に、「私らへの指導方針」とは、ちがったことが「できている」「やれている」ということを物語っていますが、赤磐市が、半年間の新規利用者の受け入れをストップ」という処分をしたのか、できたのか、も、キッチリと調査する必要もありかなの思い。。。

★たかが、電話、とは、言え、色々ですね。。。たかがではなくて、されど、電話というべきですよね。

※行政などに問い合わせをしていましたら、昨日、下記のような、丁寧な返信いただきまして、「それなりに理解」はできたということですが、29人と30人で、何で、という基本的な疑問符は残りますがね‥

そもそも施設の主体の違いとか、

回答⇒老人福祉法における「特別養護老人ホーム」のうち、入所定員が30人以上のものを介護保険法上では「介護老人福祉施設」といい、
都道府県知事の指定が必要となります。

また、入所定員が29人以下の場合は、「地域密着型介護老人福祉施設」といい、区市町村に申請し指定を受けます。

お尋ねの赤磐市の特別養護老人ホームは、岡山県のホームページによれば、定員が29人のため、「地域密着型介護老人福祉施設」として赤磐市の指定となり、処分も赤磐市が行うことになります。

なお、津山市の場合は、定員が80人のため、「介護老人福祉施設」として岡山県の指定となり、処分も岡山県が行うことになります。

ということです、法というか、定めは分かりましたが、です。

7月12日(水)太陽光の「疑惑」解明を求める市民会議

★朝曇り空、昨日の午後は、田邑・一宮地域への「太陽光発電建設に係る贈収賄疑惑を解明する市民の会」(呼びかけ代表者・宮地昭範前市長)が行われました。会場いっぱいの人、50人程度かな、と、資料は、50数部作成していましたが、不足でした、60数人の参加かなという感じでした。市民の関心の強さを示しているのかと思いました。

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★本来は、宮地さんが「開会あいさつ」をする予定でしたが、定期的な「検査」があり、病院での手間が遅れての参加」となり、河本市議が「代理で開会あいさつ」を行いました。

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そのあと、近藤吉一郎議員の「裁判についての報告」を、奥津弁護士がおこないまして、「今、裁判は始まったばかりの状態で、書類の交換などしているところ」と現状報告などでした。事件の核心の部分などは、裁判の今後の進行状況等ともかかわっており、仔細での報告にはならず、大まかな方向性などを教えてもらいました。

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そして、谷口市長が原告として、扶桑社を被告として争いました「技師の訂正を求める裁判」で、被告・扶桑社側の証人として裁判に出られた、東京の内田さんから報告が行われました。高級接待が「あったか、なかったか」については、裁判所は、「無かったという明確なしょうこはない」と判断したこと、あったとは認められる確たるしょうこはない」という意味の判決だという趣旨の説明もありました。いわば、あり、った、とも、なかった、とも、どちらともしょうこがないと、いうことであり、「無かったと裁判所が認めたわけではない」とことが、ほぼ、明確になったのかなと思いました。

太陽光発電建設に係る「疑惑解明」を求める市民の会の結成に発展、少し遅れて宮地さんも参加でした

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★宮地さんも、やや、遅れて3か、挨拶を、その時点で行いました。太陽光発電建設に係る「疑惑解明」を求める市民の会の結成について、近藤市長選挙の事務局・飯島さんの方から提案があり、合わせて、会則(案)が説明されました。名称、目的などは、下記のように決まりました。

(名称)第1条 この会は、津山市田邑・一宮地域に建設中の「太陽光発電建設に係る疑惑解明を求める市民の会」と称する。

(事務所)第2条 本会の事務所は津山市横山382に置く  

(目的)第3条 本会は、透明な津山市政運営を通じて、明るい明日の津山づくりをめざすために、津山市田邑・一宮地域に建設中の「太陽光発電建設に係る疑惑解明を求める」活動及び「疑惑解明」の運動にかかわる訴訟が提起された場合は、その訴訟の支援し裁判の勝利のために活動する。

何で、と、問いかけられましたが、答えられませんでしたね、本当に「何ででしょうか」ね・議会のお話です・

昨日の集会の終わってから、あるひとから「末永さん、議会傍聴に行きましたが、気になりました、議長が、末永さんの時だけ、【時間ですから・・】という意味のことを言いましたが、あれば、何ですか、?、何でですか」と聞かれました。「よほど、末永が気に食わないのでしょう…」と流しましたが、実は、この話、何人かの人が「問いかけてきた」物語です。

★6月議会、私の質問が「残り、2分、3分かな」の時に、突然、中島議長が、「残り時間が少ないですから、質問を、まとめてください」という意味のことを言いましたね・・・「なんで、末永さんの時だけ、中島は言うたのか、ほかの人の時は、なにも、言わなかった」と、まるでケンカ腰で話しかけた人もありました。

★ある人は、「マスコミに、末永だけに注意したと書くべきではないか、通り一片の議会質問を書いても、マスコミの役割は果たせない、と、怒っておいた」という話をしたひともありました・・・何ででしょうかね、なぜか、知りませんが、中島議長は、らというべきか、は、かなり「私=末永」をみょうに「意識しているのでしょうかね」そうとしか思えませんが…それにしましても、何でかな、本当に、何ででしょうか…おかしなことですね、、

確かなことは、私以外の30分時間いっぱいの人には、誰にも「注意」はしなかったことです

★何人かの議員さんが、30分の「質問時間一ぱい」まで時間を使いましたが、中島議長は、誰にも「注意」はしなかったことです。何を意識しているのかは、また、何でか、は、想像の世界ですね、、

7月11日(火)8年ぶりにクリーンセンターへ

★昨日、ある意味では「楽しみ」「期待」をし、相手が「どうでるか」は不安も感じていました、田邑・一宮地域に建設中の「太陽光発電工事現場」の示唆が、また雨で中止となりました。よほど「えんがない」のかもしれませんね・・・その代わりと言いますと「変なこと」ですが、久しぶり、正に、8年ぶりですね、市内領家と鏡野町にまたがる「津山圏域資源循環施設組合」の有南英します、クリーンセンターを訪問しました。

★実は、今回市議に帰り咲きまして、牽引組合議会にどこかに属する、ということで、この資源循環施設組合議会を選びましての、さんかということです、正式な議会ではなくて、施設の見学も含めての「勉強会」が、太陽光発電けんせつげんばしさつよりも」早くから」決められていましたが、太陽光発電工事に今回は欠席届」を出していましたが、そちらが「中止」となったために、急遽参加ができたということでした。

★8年の空白、正に、はちねんぶりに「いろんな思い出が詰まっている施設、クリーンセンターに行きました、久米工業団地から、クリーン入る道路体系の在り方から、まず、そうか、この道の路線を決めるのも「○○があったな」と思いながら、クリーンの施設内へと入っていきました。見るもの、触るもの、報告を聞くもの、皆「いろんなことを思い出しながら」の会議でした。

★稼働して8年になるとか、私が「議員を辞めた時から、実際には動き出した」ということになりますね、、、テープカットした時は、もう、議員ではなかったのかもしれませんがテープカットした会議室での、今日の「組合議会の報告。相談会議」でした、あの時、正面入り口にたてていた「クリーン建設工事に係る反対住民の会」(領家の自然環境を守る会)の運動の即席の「表示パネル」はどうしたんだろう、どこかに『しまってある』のかもですね…おかしい」という思いで、黙ってかえりましたが、・・

★7月25日には、「臨時議会」が招集されています、選挙があった関係で、議長が不在、圏域の議会は「津山市の人が議長に」と、内々の決まりのようなものがありますから、津山から出ている議員、勝浦、金田、近藤、末永から、誰かをということになりますが、市議選前までは、近藤議員が゛議長で、市長選に立候補で交代して、金田議員が議長をしていたということのようですから、今回も、おのずと、方向は見える感じですから、もめることは無いのだろうなと思います、

★11月は、定例議会がおこなわれるということのようですから、その時は、゜過去の経過も含めて、いくつか質問をしてみたいと、事務局に、それらの資料を御願いしておきました。

今日の午後1時30分から「太陽光発電建設をめぐる贈収賄疑惑の解明を求める市民集会です。

宮地昭範・前津山市長が呼びかけ人になって行われます、午後1時30分から、津山雇用労働センターです、皆さんのご参加を呼び掛けています。時間の許される人は、参加しましょう。

7月10日(月)一つのけじめ、終止符は打ちました

8日の土曜日、美作水平社創立100年記念事業の一つ、記念式典を終えました。その中で、水平社の流れを継承する、豊かなまち・人つくり津山ネットワークの同和・部落に冠とする「運動」を終えると高々に宣言をしました。

まずは、記念式典からでした。

開会式記念式典は、司会が、西山 正美、主催者あいさつ⇒記念事業実行委員長   中西孝、来賓あいさつ⇒美作地域 自治体代表で津山市長 谷口圭三、岡山県地域人権運動連絡会議 長 中島 純男、市民団体・民主団体 代表新日本婦人の会津山支部支部長 須田 元子 にしていただき、あとは、参加の来賓、マイクを回して自己紹介でした。

ああ市長あなか

 そのあと、記念行事に入りまして各地域からの訴え

                                   ①作東で町会議員・その後美作市の市議を務め、解放運動に携わってこられ本音シンポなどの活動に参加した、本城 宏道 さん                         ②津山の本音シンポジウムから学ぶもの、津山からのレポートとして、 滋賀県、今は湖南市になっていますが、甲西町時代に議員をされていました、坂田 政富 さん                               ③美作地区内で、いわゆる「地区」を持たない自治体は、2つか3人つですが、其の一つ、奈義町で議員をしておられる 森藤 政憲さん       ④高知県、今は、香美市、合併前の、土佐山田町時代に、津山と縁を持った、町会議員さんから、今、市議会議員、笹岡 優 さん           ⑤旧勝田町、職員として、解放運動を眺め、勝田郡本音シンポジウムなどにかかわりをもって来られた、東 芳郎 さん                ⑥徳島県から、県会議員をされ、今、徳島市議をされ、津山の本音シンポにも参加、地元でも報告会などされてきた、古田美千代さん          ⑦最後、お隣の和気町で、町会議員として、公正な同和行政を追い求め、特別な同和行政の終結へ頑張っておられる 西中 純一 さん

からの報告をしていただきました。スライドによる100年の歩みをお届けして、記念事業の最後は、津山ネットの決意の報告でした。約15分程度のれきしてき運動の流れ、津山での戦後の流れて、30年くらい前からの流れの解説のあと、

差別がほぼなくなる時代とは、こんな社会ではないか

☆差別するという言動が”人間”として恥ずかしいことであるという空気を作る。圧倒的国民が、「差別するのはまちがい」という認識を持つ社会。
☆「家柄」等持ち出せば「今更何を言うか」と、社会的批判がだされる。
この程度までの社会作りで充分であり、それ以上の課題を「部落」を冠とした市民運動
団体のなで行うことは不可能に近いと言わなくてはいけません。

全国で「部落差別がゼロ」になったり、地区の人の気持ちを100%理解しないと「部落差別がなくならない」と言うものでもない。

さらに、人権への「衣替え」への注意として、21世紀「共生社会」への警告として、◎同和・部落問題は「共生」ではない、他の「差別問題」との「違い(同じ国民・民族の内部の問題であり、人種差別と同一のものではない)」を明確にした世の在り方を願い、今集会のまとめとして、

「共生」という熟語は、「複数の人間や生き物が同じところで生活すること」という意味です。訓読みで「共に生きる」と読めば、意味が分かりやすくなりますね。

また、同じ場所で住んでいるだけでなく、お互いに良い影響を与え合っているというニュアンスも含んでいます。近年は、「いろいろな種類のものがあること」を意味する「多様性」という概念が重要視されてきています。この文脈において「共生」は、「国籍、民族、障がいの有無などに関わらず、対等な関係で生きていくこと」という意味で使われています。

★この意味で「共生」が使われる例として、「多文化共生」という言葉があります。「多文化共生」とは、文化の相違をお互いに認め合い、対等に関わり合いながら生きていくことを指します。ということですから、ぶらくもんだいは「共生」に入れてしまうと、そもそものところで「認識違い」となってしまいますから、明確にすべしと警告したわけです。

平和・自由と民主主義、暮らし守る市民として生きていく、水平社運動の流れを組む市民運動団体の終結を

水平社運動の歴史を継承し、戦後の部落解放委員会、解放同盟、全解連、そして、津山ネットワークと、常に津山地域の「水平社運動を継承し、民主主義・人権擁護運動の主流として活動して来れました、「豊かなまち、人つくり津山ネットワーク」の名において、水平社創立100年を期して、その流れを組む、全ての運動を閉じ、今後、一人の人間として、平和・自由と民主主義、暮らし守る市民として生きていく道を歩む決意を申し上げて結びとします】

★参加者は、約120人かなと思いますが、夜は、県外の参加者・実行委員会の皆さん、鶴由真ホテルで、約30人の参加で、市民団体の皆さんと懇談会・レセプション」で、和やかに過ごしました。

★いろいろとありました、私=末永は、約50年かかわってきた「部落・同和」の運動ですが、綴じました、終わりを宣言しました、本当にお世話になりました、ありがとうございました。

今日は、雨のようですが、田邑・一宮地域の「太陽光建設現場」を市議会総務文教委員会で視察をする日です。

議員の活動に「制限を入れて、視察を許可する」というおかしなことになりそうな、視察ですが、ともかく、参加してきます。

7月8日(土)水平社運動から何を学ぶか

★今日が、約1年前から準備してきました、美作水平社創立100年記念事業の一つ、「記念式典」の日です、準備の前半は「歴史探索・市利用集め」と、歴史編纂医院の皆さんといろいろと検討してきました。まさか、市議会議員に立候補するようになるなどは、全く考えることすらしていなかった時期です。突然市議に立候補、何んとか当選させていただき、5月臨時会と6月定例会議、其の合間を縫ってかな、記念式典の準備しながら、其の合間を縫っての市議会かな、どちらでしょう・・

★なかなか思うようには調査もできない、資料も集まらない、各自治体の皆さんに「ご無理」をお願いしての資料探しもしていただきましたが、とくべつそちほうが「亡くなって」から20年というさいげつは「伊達ではない」感じ、資料の保存がなかなか・・・そして、市町村の合併で、一層、困難にというありようです・・・これから歴史資料も、当初から、たしょう「企画の変更」もありかなです。

水平社が創立されたころ、大正の時代は差別確認・糾弾」への激しい運動が繰り広げられています。

水平社運動の運動の中心は、「差別者への確認・球団闘争」であったと言われています、1927年昭和2年の事件・落合垂水神社⇒当時は宮司不在、地区の人を「氏子」と認めないという問題、もし、「氏子に認めるのなら、ワシらは、神様を自分の地域へ持って帰る」とまで話がもつれ、大きな差別確認会へと発展している。翌年には、地区の子供たち50人が「同盟休校」という戦術をとり、2年後に氏子になる」ということで決着している。

1930年(昭和5年)美保村厚生校差別事件、「トラホーム予防」と称して、地区の子供だけを「1か所に机をかためた」という事件、農民組合、労働組合、水平社とで「三角同盟」を作る一つの事始めかな・・そんな事件です。

戦争という「運動の中断の時期」はありますが、戦後の、人民解放同盟、解放委員会、解放同盟へと、繋いできた運動の時期も、「差別への直接的な怒り、確認・糾弾会」へと、大きなエネルギーが動いているようです、そして、国策樹立運動で、全国、主に西日本、九州すら、東京へ、徒歩行進を組織し、主な自治体を訪問しながら、登記用へ、国会へと、コクの責任を求めるだいうんどうが「国民運動」という名で繰り広げられています

★こうした課題、問題を、どのようにして、スライドで伝えられるか、とても、難しいところですね。